な小屋だな」
と呟《つぶや》きながら、頼母は、改めて五郎蔵の賭場を眺めた。
板囲いは、ひときわ大ぶりのもので、入り口には、二人の武士が、襷《たすき》をかけ、刀を引き付け、四斗樽に腰かけていたが、いうまでもなく賭場防ぎで、一人は、望月角右衛門であり、もう一人は、小林紋太郎であった。この二人は、あの夜、薪左衛門の屋敷で、ああいう目に逢い、恐怖のあまり、暇《いとま》も告げず、屋敷を逃げ出し、ここの五郎蔵の寄人《かかりゅうど》になったものらしい。同じ屋敷に泊まったものの、顔を合わせたことがなかったので、頼母は、二人を知らず、そこで目礼もしないで、入り口をくぐった。
賭場は、今が勝負の最中らしく、明神へ参詣帰りの客や、土地の者が、数十人集まってい、盆を囲繞《とりま》いて、立ったり坐ったりしていた。世話をする中盆が、声を涸《か》らして整理に努めているかと思うと、素裸体《すはだか》に下帯一つ、半紙を二つ折りにしたのを腰に挾んだ壺振りが、鉢巻をして、威勢のよいところを見せていた。正面の褥《しとね》の上にドッカリと坐り、銀造りの長脇差しを引き付け、盆を見ている男があったが、これが五郎蔵で、六十五歳だというのに、五十そこそこにしか見えず、髪など、小鬢へ、少し霜を雑《ま》じえているばかりであった。段鼻の、鷲のような眼の、赧ら顔は、いかにも精力的で、それに、頤《あご》などは、二重にくくれているほど肥えているので、全体がふくよか[#「ふくよか」に傍点]であり、武士あがりというだけに、品があり、まさに親分らしい貫禄を備えていた。甲州|紬茶微塵《つむぎちゃみじん》の衣裳に、紺献上の帯を結んでいるのも、よく似合って見えた。その横に女が坐っていた。以前から五郎蔵が、自分のもの[#「もの」に傍点]にしようと苦心し、それを、柳に風と受け流し、今に五郎蔵の自由にならないところから、博徒仲間《このしゃかい》で、噂の種になっている、お浦という女であった。二業――つまり、料理屋と旅籠《はたご》屋とを兼ねた、武蔵屋というのへ、一、二年前から、流れ寄って来ている、いわゆる茶屋女なのである。年は二十七、八でもあろうか、手入れの届いた、白い、鞣《なめ》し革のような皮膚は、男の情緒《こころ》を悩ますに足り、受け口めいた唇は、女形《おやま》のように濃情《のうじょう》であった。結城の小袖に、小紋|縮緬《ちりめん》の下着を重ね、厚板《あついた》の帯を結んでいる。こんな賭場へ来ているのは、五郎蔵が、
「おいお浦、祝儀ははずむから、小屋へ来て、客人の、酒や茶の接待をしてくんな」と頼んだからであるが、その実は、五郎蔵としては、片時もこの女を、自分の側《そば》から放したくないからであった。
(賭場に神棚が祭ってあるのは変だな)
と、盆の背後、客人の間に雑じって立っていた頼母は、五郎蔵やお浦から眼を外し、五郎蔵の背後、天井に近く設けられてある、白木造りの棚を眺めた。紫の幕が張ってあり、燈明が灯してあった。
(何かの縁起には相違あるまいが)
ゆすり浪人
この間にも、五百両胴のチョボ一は、勝負をつづけて行った。胴親、五郎蔵の膝の前に積まれてある、二十五両包みが、封を切られたかと思うと、ザラザラと賭け金が、胴親のもとへ掻き寄せられもした。
一人ばからしいほど受け目に入っている客人があった。編笠を冠ったままの、みすぼらしい扮装《みなり》の浪人であったが、小判小粒とり雑《ま》ぜ、目紙《めがみ》の三へ張ったところ、それが二回まで受け、五両が百二十五両になった。それだのに賭金《かね》を引こうともせず、依然として三の目へ張り、
「壺!」と怒鳴っているのであった。
客人たちは囁《ささや》き出した。
「お侍さんだけに度胸があるねえ」
「今度三が出たらどうなると思う」
「胴親が、四倍の、五百両を附けるまでよ」
「元金《もときん》を加えて、六百二十五両になるってわけか」
「それじゃア、五百両胴は潰れるじゃアねえか」
染八という乾児《こぶん》が中盆をしていたが、途方にくれたように、五郎蔵の顔を見た。と、この時まで、小面憎そうに、勝ち誇っている浪人を、睨《にら》み付けていたお浦が、
「親分」と例の五郎蔵へ囁いた。
「喜代三を引っ込めなさいよ」
喜代三というのは、壺振りの名であった。
「喜代三にゃア、三が振り切れそうもないじゃアありませんか」
「大丈夫だ」
五郎蔵の声は自信に充ちていた。
「天国《あまくに》様が附いている」
それから神棚の方へ頤をしゃくったが、「五郎蔵の賭場、一度の疵《きず》も附いたことのねえのは、天国様が附いているからよ。喜代三、勝負しろ」
(天国様?)
と、五郎蔵の言葉《ことば》を小耳に挾んで、不審を打ったのは、頼母で、
(それじゃアあの神棚には、天国の剣が祭ってあるのか?)
改めて神棚を眺めた。燈明の火が明るく輝き、紫の幕が、華やかに栄《は》え、その奥から、真鍮《しんちゅう》の鋲《びょう》を持った祠《ほこら》の、扉《とぼそ》が覗いていた。
(あの祠の中に天国があるのではあるまいか)
彼がここへ来たもう一つの目的は、五郎蔵が来栖勘兵衛だとして、はたして、天国の剣を持っているかどうか、それを知ることであった。
頼母はじっと神棚を見詰めた。
と、
「わーッ」
という声が聞こえ、
「一《ぴん》だーッ」
「お侍《さむれえ》、やられたのーッ」
という声が聞こえた。
頼母は、はっ[#「はっ」に傍点]として、盆の方を見た。
骰子《さいころ》の目が、一を出して、目紙の上に、ころがっている。
(態《ざま》ア見ろ!)というように、染八が、浪人の前から、百二十五両を掻き集めようとしているのが見えた。
「待て!」
浪人が刀を抜き、ピタリと目紙の上へ置いた。
「その金、引くことならぬ!」
「何を!」
「賭場荒らしだーッ」
場内総立ちになった。
瞬間に浪人は、編笠を刎《は》ね退け、蒼黒い、痩せた、頬骨の高い、五十を過ごした、兇暴の顔を現わし、落ち窪んで、眼隈《めくま》の出来ている眼で、五郎蔵を凝視《みつ》めたが、
「お頭《かしら》ア、いや親分、お久し振りでござんすねえ」と、言葉まで侍らしくなく、渡世人じみた調子で、「いつも全盛で、おめでとうございます」
五郎蔵は、相手の顔を見、不審《いぶか》しそうに眼をひそめたが、そろりと脇差しを膝へ引き付けると、
「汝《わりゃ》ア?」
「渋江典膳《しぶえてんぜん》で。……お見忘れたア情ねえが、こう痩せ涸れてしまっちゃア、人相だって変る筈で。……それにさ、お別れしてっから、月日の経つこと二十年! ハッハッ、お解りにならねえ方が本当かもしれねえ」
「…………」
「お頭ア、いや親分、あの頃はようござんしたねえ、二十年前は。……来栖勘兵衛、有賀又兵衛といやア、泣く児《こ》も黙る浪人組の頭、あっしゃア、そのお頭の配下だったんですからねえ。……徒党を組んでの、押し借り強請《ゆす》りの薬が利きすぎ、とうとう幕府《おかみ》から、お触れ書きさえ出されましたっけねえ。あっしゃア、暗記《そら》で覚えておりやす。『近年、諸国在々、浪人多く徘徊いたし、槍鉄砲をたずさえ、頭分、師匠分などと唱え、廻り場、持ち場などと号し、めいめい私に持ち場を定め、百姓家へ参り、合力を乞い、少分の合力銭等やり候えば、悪口乱暴いたす趣き、不届き至極、目付け次第|搦《から》め捕《と》り、手に余らば、斬り捨て候うも苦しからず、差し押さえの上は、無宿、有宿にかかわらず、死罪その外重科に処すべく候云々』……勘兵衛とも又兵衛とも、姓名の儀は出ておりませんが、勘兵衛、又兵衛を目あてにしてのお触れ書きで。そうしてこのお触れ書きは、今に活《い》きている筈で。……ですから、勘兵衛、又兵衛が、今に生きていて、この辺にウロウロしていると知れたら、忽ち捕り手が繰り出され、捕らえられたら、首が十あったって足りゃアしねえ。……それほどの勢力のあった浪人組も、徒党も、二十年の間に、死んだり、殺されたり、ご処刑受けたりして、今に生きている者、はて、幾人ありますかねえ。……三人だけかもしれねえ。……一人は私で。一人は、ここから一里ほど離れている古屋敷に、躄者《いざり》になって生きている爺さんよ。……もう一人は……」
「お侍さん」と、五郎蔵が云った。「いい度胸ですねえ」
「何んだと」
「あっしゃア、どういうものか、ご浪人が好きで、これまで随分世話を見てあげましたが、ご浪人に因縁つけられたなア今日が初めてで」
「つけるだけの因縁が……」
「いい度胸だ」
「褒められて有難え」
「百二十五両お持ちなすって。……お浦、胴巻でも貸してあげな」
「親分!」と、お浦は歯切りし、「あんな乞食《こじき》浪人に……」
「いいってことよ」それからお浦の耳へ口を寄せたが、
「な! ……」
「なるほどねえ。……渋江さんとやら、それじゃアこれを……」
お浦の投げた縞の胴巻は、典膳の膝の辺へ落ちた。それへ、金包みを入れた典膳は、ノッシリと立ち上がったが、礼も云わず、客人を掻き分けると、場外《そと》へ出て行った。
その後を追ったのは、お浦であった。
典膳の運命は
この日が夜となり、火祭りの松明が、諏訪神社の周囲を、火龍のように廻り出し、府中の宿が、篝火《かがりび》の光で、昼のように明るく見え出した。
この頃、頼母は、物思いに沈みながら諏訪神社《みや》と府中《しゅく》とを繋《つな》いでいる畷道《なわて》を、府中の方へ歩いていた。賭場で見聞したことが、彼の心を悩ましているのであった。渋江典膳という浪人が、五郎蔵を脅かした言葉から推すと、いよいよ五郎蔵は来栖勘兵衛であり、飯塚薪左衛門は、有賀又兵衛のように思われてならなかった。そうして、五郎蔵が来栖勘兵衛だとすると、神棚に祭られてあったのは、天国の剣に相違ないように思われた。このことは頼母にとっては、苦痛のことであった。
(天国の剣が、存在するということが確かめられれば、父の説は、誤りということになる。しかるに父は、その誤った説で、五味左衛門と議論したあげく、試合までして、左衛門を打ち挫き、備中守様のご前で恥をかかせた。そのために左衛門は悲憤し、屠腹して死んだのであるから、左衛門を殺したのは、父であると云われても仕方がなく、左衛門の忰左門が、父を討ったのは、敵討ちということになる。その左門を、自分が、父の敵として討つということは、ご法度《はっと》の、「又敵討ち」になろうではあるまいか)
(いっそ、天国を手に入れ、打ち砕き、この世からなくなしてしまったら)
こんな考えさえ浮かんで来るのであった。
(天国のような名刀が、二本も三本も、現代《こんにち》に残っている筈はない。あの天国さえ打ち砕いてしまったら)
枯れ草に溜っている露を、足に冷たく感じながら、頼母は、府中の方へ歩いて行った。
と、行く手に竹藪があって、出たばかりの月に、葉叢《はむら》を、薄白く光らせ、微風《そよかぜ》にそよいでいたが、その藪蔭から、男女の云い争う声が聞こえて来た。頼母は、(はてな?)と思いながら、その方へ足を向けた。
府中の方へ流れて行く、幅十間ばかりの、髪川という川が、竹藪の裾を巡って流れていて、淵も作れないほどの速い水勢《ながれ》が、月光を銀箔のように砕いていた。その岸を、男と女とが、酔っていると見え、あぶなっかしい足どりで歩き、云い争っていた。
「これお浦、どうしたものだ。どこまで行けばよいのだ。蛇の生殺しは怪しからんぞ。これいいかげんで……」
渋江典膳であった。五郎蔵の賭場で、百二十五両の金を強請《ゆす》り、場外へ出ると、賭場で、五郎蔵の側にいたお浦という女が、追っかけて来て、親分の吩咐《いいつ》けで、一|献《こん》献じたいといった。こいつ何か奸策あってのことだろうと、典膳は、最初は相手にしなかったが、田舎に珍しいお浦の美貌と、手に入った籠絡《ろうらく》の手管《てくだ》とに誘惑《そその》かされ、つい府中《しゅく》の料理屋へ上がった。酒を飲まされた。酔った。酔ったほどに、下根《げこん》の典
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