分にお知らせして……さよう親分にお知らせした方がよろしい。……拙者一走りして……」と、臆病者の紋太郎は、侵入者が頼母だと知った瞬間、一躍《ひととび》して、乾児たちの背後へ隠れたが、今度はいち早く、納屋から逃げ出そうとして、そう叫びながら、乾児たちを掻き分けて前へ出、頼母の体によって半分以上|塞《ふさ》がってはいるが、しかし尚明るく見えている戸口を狙った。
頼母は、この意外なありさまに度胆を抜かれたが、そのうち自分が、何か誤解されているらしいことに感付いた。
「方々――いや五郎蔵殿のお身内、拙者はいかにも伊東頼母、先夜、父の敵五味左門に邂逅《めぐりあ》いました際には、ご助力にあずかり、千万忝けのうござった。お礼申す。その夜お断わりもいたさず武蔵屋を立ち退きましたは、とり逃がしました左門を探し出そうためで。……しかし挨拶なしにお暇《いとま》いたしましたは拙者の不調法、お詫《わ》びつかまつる。……いやナニここへ参りましたのもほんの偶然からで。……さよう、窓から、お浦殿の顔と典膳めの顔とが……どっちみち偶然からで。……それにいたしましても、只今のお言葉、ちと不穏当! 合点ゆきませぬ! ……誘拐者とは? 盗賊とは?」
と云い云い、頼母は、油断なく四方《あたり》へ眼を配った。
納屋の血煙り
「吐《ぬ》かすな!」と、首根っ子に瘤《こぶ》のある乾児《こぶん》が叫んだ。「白々しい三ピン! 何を云うか! ……親分の恋女《おんな》、お浦を誘惑《そそのか》し、五郎蔵一家の守護神、天国の剣を持ち出させながら、白々しい! ……」
「他人の恋女をそそのかしゃア誘拐者《かどわかし》よ!」
「刀を持ち出させりゃ盗賊だ!」
乾児たちは口々にまた喚きだした。
頼母は(さてはそれでか)と思った。お浦と関係など附けたことはなく、附けようと思ったことさえなかったが、お浦の方では、そういう関係になるべく希望《のぞ》んでいたことは争われなかったし、天国の剣をお浦に持ち出してくるよう依頼《たの》んだのは、確かに自分なのであるから、乾児たちにそう云われてみれば、言下に反駁することは出来なかった。
頼母は黙ってしまった。
頼母が困《こう》じて黙っている様子を見てとった乾児たちは、
「そこで親分には手前をさがしだし、叩っ斬ろうとしているところなのよ」
「いいところへ来た」
「とっ捕《つか》まえろ」
「手に余ったら叩っ斬れ」
と喚き出し、
「それを[#「それを」に傍点]見ろそれを!」
と、頬に守宮《やもり》の刺青《いれずみ》をしている一人の乾児が、梁から釣り下げられている|典膳お浦《ふたり》を指さした。
「俺ら仲間の処刑《しおき》、凄かろうがな。……手前を捉えて、こうしようというのが親分の念願なのさ」
「やっつけろ!」
脇差しを引き抜くものもあった。
頼母も刀の柄へ手をかけ、先方《さき》が斬り込んで来たら、斬り払おうと構えたが、それにしてもお浦と典膳との境遇が、あまりに悲惨に、あまりに意外に思われてならなかった。
(いずれお浦は、あの後、五郎蔵の手に捕えられたものらしい)
あの後というのは、お浦が左門の紙帳を冠ったまま、武蔵屋の庭から消えた後のことであって、あの時、紙帳が自然《ひとりで》のように動きだしたのは、その実、その中にお浦がいたのだということは、お浦の衣裳が、次々に紙帳の中から地に落ちたことによって、頼母にも悟れたのであった。
(その後どうして五郎蔵の手に捕えられたのであろう?)
(そうして、殺された筈の典膳が、生きていたとは? ……そうして五郎蔵の手に捕えられたとは? ……どこでどうして捕えられたのであろう?)
彼にはこれらのことがどうにも合点いかなかったが、事実は、あの夜お浦と典膳とは、髪川の上と下とで逢った。岸の上の女が怨みあるお浦だと知ると、典膳は猛然と勇気を揮い起こし、岸へよじ上り、お浦へ掴みかかった。お浦は相手が典膳だと知るや、悲鳴を上げて遁がれようとした。二人は組み合い捻《ね》じ合った。そこへ駈け付けて来たのが、血路をひらいて逃げた左門を、捕えようとして追って来た五郎蔵達で、二人は五郎蔵たちの手によって捕えられ、武蔵屋へしょびい[#「しょびい」に傍点]て行かれ、そこで糾明された。お浦は容易に実を吐こうとはしなかったが、いわば痛目《いため》吟味に逢わされ、とうとう自分が伊東頼母を恋したこと、頼母の依頼によって天国の剣を持ち出し、頼母に渡そうとし、部屋を間違えて、五味左門の部屋へ行き、紙帳の中へ引き入れられたことなどを白状した。五郎蔵は怒った。自分が想いを懸けていた女が、頼母に心を寄せたことに対する怒りと、「持つ人の善悪にかかわらず、持つ人に福徳を与う」とまで云われている天国の剣を、頼母へ渡そうとしたことが、五郎蔵をして嚇怒《かくど》させた。彼はお浦を嬲《なぶ》り殺しにしようとした。
典膳に至っては、五郎蔵の過去の行状を知っていて、強請《ゆす》りに来たほどの男だったので、生きているからには殺さなければならず、これも嬲り殺しにすることにした。
こうして惨酷の所業が今日まで行われて来たのであったが、府中《しゅく》で殺しては人目につき、後々がうるさいというところから、この農家の納屋で、乾児たちに吩咐《いいつ》け、その嬲り殺しの最後の仕上げに取りかからせたのであった。
突然風を切って木刀が、頼母の眉間へ飛んで来たので、頼母は瞬間身を反《か》わした。
「面倒くさい! 方々、たたんでおしまいなされ!」
叫んで刀を抜いたのは、木刀を投げつけた角右衛門であった。
「そうだ、やれ!」
「膾《なます》に刻め!」
怒号する声が一斉に湧き起こり、納屋が鳴釜《なりかま》のように反響した。無数の氷柱《つらら》が散乱するように見えたのは、乾児たちが脇差しを引っこ抜いたからであった。
やにわに一人の乾児が横撲りに斬り込んで来た。頼母は、右手の壁の方へ身をかわしたが、抜き打ちざまに、眉間から鼻柱まで割り付けた。
「やりゃアがったな!」
と喚くと、もう一人の乾児が、むこうみずにも、脇差しを水平にし、体もろとも、突っ込んで来た。それを頼母は左へ反わし、乾児が、脇差しを壁へ突っ込んだところを、背後から、肩を背筋まで斬り下げた。
二人を助けて
と、間髪を入れず、三人目の乾児が、
「野郎!」と叫んで、足を薙ぎに飛び込んで来た。
「命知らずめ!」
と頼母が叫んだ時には、もうその乾児の脳天を、鼻柱まで斬り下げ、その隙を狙って紋太郎が、脱兎のように戸口を目がけて逃げだしたのを、追おうともしないで見捨て、昏迷《あが》った四人目の乾児が、
「チ、畜生オーッ」
と悲鳴のような声をあげて、滅茶滅茶に脇差しを振り廻し、ヒョロヒョロと接近《ちかよ》って来るやつを、真正面から、肩を胸まで斬り割り、望月角右衛門が、
「拙者、頼母めを背後より……各※[#二の字点、1−2−22]《おのおの》方は正面から……」
と叫び、刀を振り冠り、背後へ廻ると見せかけ、その実は、お浦と典膳とが釣り下がっているその足の下を潜り、戸口から飛び出したのをも見捨て、生き残った二人の乾児が、これも戸口から駈け出そうとするのを、素早く前へ立って遮《さえぎ》り、
「逃げれば斬るぞ! 坐れ!」
と大喝し、二人の乾児が、ベッタリと坐ったのを睨み、
「脇差しを捨てろ!」
二人の乾児は脇差しを投げ出した。
左門へ立ち向かっては子供のようにあしらわれる頼母ではあったが、本来が勝《すぐ》れた腕前、博徒や用心棒に対しては段違いに強く、瞬間《またたくま》に四人を斃し、二人を追い、二人を生擒《とりこ》にしてしまったのである。
頼母はホッとし、大息を吐き、しばらくは茫然としていた。
(恩こそあれ、怨みのない五郎蔵殿の乾児衆を殺したとは……)
武蔵屋で、左門と出会った時、五郎蔵たちに助けられなかったならば、自分は手もなく左門に討ち取られたことであろう! 五郎蔵殿とその乾児衆とは、自分にとっては恩人に相違ない! それを、時の機勢《はずみ》とはいえ、先方から仕掛けた刃傷沙汰とはいえ、その恩人の乾児を四人殺したとは……。
(殺生な!)その優しい心から、頼母は暗然とせざるを得なかった。
と、その時、頭上から、
「頼母様アーッ」
と叫ぶ、女の声が聞こえて来た。頼母はハッとし、気が附き、声の来た方を振り仰いだ。半分《なかば》死にはいり、ほとんど人心地のなかったお浦が、今の乱闘騒ぎで、正気を取り戻したらしく、藍のように蒼い顔を、薄暗い梁の下に浮き出させ、血走った眼で、思慕に堪えないように、じっと頼母を見下ろしていたが、紫ばんだ唇を動かしたかと思うと、
「頼母様アーッ……あなた様のために……あなた様に差し上げようと持ち出しました天国の御剣《みつるぎ》を、残念や、髪川へ落としましてございます。……こればかりが心残り! ……死にまする、妾《わたし》は間もなく死にまする! ……いいえ何んの怨みましょうぞ! 想いを懸けましたあなた様のために、五郎蔵親分に嬲《なぶ》り殺しにされて死ぬこそ、妾のような女には分相応! ……本望! ……喜んで死にまする! 頼母様アーッ」
荒縄の一端で釣り下げられている彼女であった。肩も胸も露出《あらわ》に、乳房のあたり咽喉のあたり焼き鏝《ごて》でも当てられたか、赤く爛《ただ》れ、皮膚《かわ》さえ剥《む》けている。深紅の紐でも結びつけたように、血が脛《はぎ》を伝わっている。
「頼母殿と仰せられるか、一思いにお殺しくだされい! お慈悲でござるぞーッ」と叫んだのは、縄の他の端に繋がれた、お浦と並び、釣り下げられている典膳であった。
「おのれ五郎蔵、この怨み死んでも晴らすぞよ! ……汝の過去の罪悪、わけても道了塚での無慈悲の所業《しわざ》! それを俺に剖《あば》かれるかと虞《おそ》れ、瞞《だま》し討ちから嬲り殺しにかけおったな! ……可哀そうなは伊丹東十郎! あいつの悲鳴、今も道了塚へ行かば、地の下から聞こえるであろうぞ、『秘密は剖かない、裏切りはしない、助けてくれーッ』と。……天国の剣を、汝が手に入れたも、この典膳が才覚したればこそじゃ。……その俺を嬲り殺し! おのれ五郎蔵オーッ」
ワングリと開けた暗い口から、焔《ほのお》の先のような舌を、ヒラヒラ出入りさせた。前歯が数本脱けている。引き抜かれたものらしい。爪を剥がされた足の指から、今も血がしたたってい、その指の周囲を、金蠅が飛び廻っている。
頼母はやにわに刀を揮うと、二人を釣っている縄を切った。
「お浦殿オーッ」と頼母は、地に落ちて来たお浦を宙で抱き止めると、ベタリと坐り、お浦の体を膝へ掻き上げた。「頼母、お助けつかまつるぞオーッ」
恩こそあれ怨みのないお浦であった。この身を恋してくれたこと、なるほど、五郎蔵からみれば、怒りに堪えない所業であったろうが、この身からすれば、尋常に恋されたまでである。憎むべき筋ではない。その恋ゆえに、天国の剣を持ち出してくれたという。感謝しなければならないではないか。その恋ゆえに、嬲り殺しにかけられたという。助けないでおられようか! 四辺を見れば、壁に戸板が立てかけられてあった。
「汝《おのれ》ら!」と頼母は、地べたに坐って顫《ふる》えている二人の乾児《こぶん》を睨みつけ、「戸板を持て! ……お浦殿とそのお武家様とを舁《か》き載せよ! ……そうして汝ら戸板を担《かつ》げ」
一団は納屋を出た。
(角右衛門どもの注進で、五郎蔵が乾児を率い、襲って来るやも知れぬ。何を措いても身を隠さなければ! ……では附近《ちかく》の林へ!)
「走れ! 向こうの林へ駈け込め!」
戸板の一団は、さっき、五味左門が身を没した同じ林の中へ駈け込んだ。
処女と殺人鬼
道了塚の林の中の紙帳の中で、栞が眼をさましたのは、これより少し以前《まえ》のことであった。彼女は、自分が蝶になって、春の野を舞いあそんでいる夢を見ていた。野の中に、一本《ひともと》の、木蓮の木があり、白絹細工のような花が、太陽《ひ》に向かって咲き揃っ
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