であり、飯塚薪左衛門は、有賀又兵衛のように思われてならなかった。そうして、五郎蔵が来栖勘兵衛だとすると、神棚に祭られてあったのは、天国の剣に相違ないように思われた。このことは頼母にとっては、苦痛のことであった。
(天国の剣が、存在するということが確かめられれば、父の説は、誤りということになる。しかるに父は、その誤った説で、五味左衛門と議論したあげく、試合までして、左衛門を打ち挫き、備中守様のご前で恥をかかせた。そのために左衛門は悲憤し、屠腹して死んだのであるから、左衛門を殺したのは、父であると云われても仕方がなく、左衛門の忰左門が、父を討ったのは、敵討ちということになる。その左門を、自分が、父の敵として討つということは、ご法度《はっと》の、「又敵討ち」になろうではあるまいか)
(いっそ、天国を手に入れ、打ち砕き、この世からなくなしてしまったら)
こんな考えさえ浮かんで来るのであった。
(天国のような名刀が、二本も三本も、現代《こんにち》に残っている筈はない。あの天国さえ打ち砕いてしまったら)
枯れ草に溜っている露を、足に冷たく感じながら、頼母は、府中の方へ歩いて行った。
と、行く手に竹藪があって、出たばかりの月に、葉叢《はむら》を、薄白く光らせ、微風《そよかぜ》にそよいでいたが、その藪蔭から、男女の云い争う声が聞こえて来た。頼母は、(はてな?)と思いながら、その方へ足を向けた。
府中の方へ流れて行く、幅十間ばかりの、髪川という川が、竹藪の裾を巡って流れていて、淵も作れないほどの速い水勢《ながれ》が、月光を銀箔のように砕いていた。その岸を、男と女とが、酔っていると見え、あぶなっかしい足どりで歩き、云い争っていた。
「これお浦、どうしたものだ。どこまで行けばよいのだ。蛇の生殺しは怪しからんぞ。これいいかげんで……」
渋江典膳であった。五郎蔵の賭場で、百二十五両の金を強請《ゆす》り、場外へ出ると、賭場で、五郎蔵の側にいたお浦という女が、追っかけて来て、親分の吩咐《いいつ》けで、一|献《こん》献じたいといった。こいつ何か奸策あってのことだろうと、典膳は、最初は相手にしなかったが、田舎に珍しいお浦の美貌と、手に入った籠絡《ろうらく》の手管《てくだ》とに誘惑《そその》かされ、つい府中《しゅく》の料理屋へ上がった。酒を飲まされた。酔った。酔ったほどに、下根《げこん》の典
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