逆上せざるを得なかった。その上、剣技にかけては、段違いに優れた左門によって、紙帳の中から、嘲弄されたのである。頼母は文字通り逆上した。
(父の敵の左門、討たいで置こうか! 恋人の栞、助けないで置かれようか!)
 思うばかりで、体はほとんど自由を欠いていた。眼前の紙帳が、鉄壁のように彼には思われた。鉄壁を貫いて、今にも、左門の剣が、閃めき出るように思われた。腕が強《こわ》ばり、呼吸がはずみ、足の筋が釣った。それでも、彼は、隙を狙うべく、紙帳を巡った。帳中の左門によって、見抜かれてしまった。
 手も足も出ないではないか。
 常磐木と花木と落葉樹との林が立っている。鳥が翔《か》け過ぎ、兎が根もとを走り、野鼠が切り株の頂きに蹲居《うずくま》り、木洩れ陽が地面に虎斑を作っている。
 そういう世界を背後に負い、血痕斑々たる紙帳を前にして、頼母は、石像のように立っていた。差し付けた刀の切っ先を巡って、産まれたばかりらしい蛾が、飛んでいる。
 と、その時、
「頼母様アーッ」
 と呼ぶ、凄愴の声が聞こえて来た。
 頼母のいる位置から、十数間離れた、胡頽子《ぐみ》と野茨との叢《くさむら》の横に、戸板が置いてあり、そこから、お浦が、獣のように這いながら、頼母の方へ、近づきつつあった。頼母様アーッと呼んだのは、お浦であった。彼女の眼に見えているものは、紙帳であり、彼女の耳に聞こえたものは、頼母と左門との声であった。武蔵屋の紙帳の中で、二度まで気絶させられた怨みある左門が紙帳の中にいる! その左門は、自分にとっては、救世主とも思われる頼母様の親の敵だという! おのれヤレ左門、怨みを晴らさで置こうか! 懐かしい頼母様! お助けしないでおられようか! ……一人には怨みを晴らし、一人には誠心《まごころ》を捧げてと、息絶え絶えながら、彼女は、紙帳の方へ這って行くのであった。

    殺気林に充つ

 お浦は、獣のように這って進んだが、渋江典膳は、よろめいたり、膝を突いたり、立ち木に縋ったりしながらも、さすがに立って、この時、道了塚の方へ歩いていた。
 そう、彼は、ここまで運ばれて来て、ここが、道了塚附近の林であることを知るや、
(この負傷《いたで》では、どうせ命はない。では、せめて、数々の思い出と、数々の罪悪とを残している道了塚で、息を引き取ろう。……東十郎への罪滅しにもなれば、懺悔《ざんげ》にも
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