も剃らない若衆であったが、不愉快そうに苦り切っている。
「俺はな」と小四郎は云い出した。
「ひどくあの娘が好きなのだ。廻国風の娘がよ。で、どうしても手に入れなければならない。そこでお主達に頼んだのさ。是非あの娘を盗み出してくれとな。ところがお主達はやりそこなった。先刻《さっき》から話を聞いていれば、どうやら今後もお主達の手では、盗み出せそうにも思われない。あきらめてしまいえばいいのだが、変に俺にはあきらめられない。一体俺にしてもお主達にしても、普通《なみ》の女には飽きている。つまり上流の娘とか、ないしは遊女とかいうようなものには、もうすっかり飽きている。漁って漁って漁りぬいたからよ。で、土民の娘とか、地下侍の娘とか、そういう種類の女共に、ついつい引っ張られるというものさ。それお主達も知っている通り、萩野という地下侍の娘があった。そうしてそいつ[#「そいつ」に傍点]を手に入れた。いや随分面白かった。その手障《てざ》わりが違っていたからな。ところがどうだろうあの女を見てから――廻国風の娘のことだが――すっかり萩野に厭気がさし、薄情ではあったがつッ放してしまった。……で、そういう訳なのだ。そんなにも劇《はげ》しく廻国風の娘に、この俺は今捉えられている。ところが手に入れる手段がない。そこで俺は考えたのだ。ご主君にお縋りしようとな。関白殿下にお願いして、関白殿下のご威光を以て、あの娘を御殿へ引き上げるのさ。そうしてそれから改めて、殿下から俺が戴くのだ。これではいかな北畠家でも、何とも苦情は云えないだろう。名案と思うがどうだろうかな?」
 侫奸《ねいかん》の徒には侫奸の徒らしい、侫奸の策略があるものである。こう云って来て不破小四郎は、得意そうに、一座を身廻した。
「いやこれは素晴らしい妙案」
「さすがは聡明の不破殿だ、よい所へお気が附かれた」
 座に集まった一同の武士は、即座に同意をしてしまった。
「しかし」とこの時一人の武士が――栃木三四郎という若武士《わかざむらい》であったが――ちょっと不安そうに首を傾げたが、
「目下伏見から幸蔵主《こうぞうす》殿が、太閤殿下のお旨を帯して、聚楽《じゅらく》にご滞在なされて居られる。この際そのような振舞いをして、よろしいものでござろうかな?」
「いや大丈夫、大丈夫」
 こう云いながら手を振ったのは、桃ノ井|紋哉《もんや》という若い武士であった。
「幸蔵主殿は私用とのことで、何も恐れるには及ばない。それに我君と幸蔵主殿とは、幼少の頃からのご懇親で、万事につけて聚楽のお為を、以前からお計らい下されて居られる。悪いようには覚し召すまい」
「いやいや一考する必要がある」
 こう意議[#「意議」はママ]をはさんだ武士があった。加嶋欽作《かしまきんさく》という若武士である。
「女ながらも幸蔵主殿は、太閤殿下の懐中《ふところ》刀で、智謀すぐれて居られるとのこと、なかなか油断は出来ますまい」
「それに」ともう一人が心配そうにした。山崎|内膳《ないぜん》という若武士である。
「ご宿老の木村|常陸介《ひたちのすけ》様が、幸蔵主殿のおいで以来、気鬱のように陰気になられた。その常陸介殿はどうかというに、智謀逞邁、誠忠無双、容易に物に動じないお方だ。そのお方が陰気になられたのだ。幸蔵主殿の聚楽参第は、単なる私用とは思われない」


聚楽第の秘密

 そもそも幸蔵主とは何者であろうか? 豊臣秀吉の大奥に仕えてそれの切り盛りをしているところの、いうところの老女であった。女ながらもずば抜けた知恵者で、一面権謀術数に富み、一面仁慈寛大であった。加藤清正や福島正則や、片桐且元《かたぎりかつもと》というような人さえ、幸蔵主には恩顧を蒙り、一目も二目も置いていた。秀吉さえも智謀を愛して、裏面の政治に関与させ、懐中刀として活用した。もう老年ではあったけれど、壮者をしのぐ、意気もあった。
 また秀次が孫七郎と宣《なの》って、三好|法印浄閑《ほういんじょうかん》なるものの、実子として家にいた頃から、幸蔵主は秀次を知っていた。三好|康長《やすなが》が秀次を養い、さらに秀吉が養子として、秀次を殊遇しはじめてから、幸蔵主は一層秀次に眼をかけ、よき注意を与えていた。で、幸蔵主は秀次にとっては、母とも乳母ともあたる人であった。
 ところで秀次は累進して、そうして秀吉の後を受けて、関白職に経上って、聚楽《じゅらく》の第《だい》の主人となって、権を揮うようになって以来、ようやく秀吉と不和になった。
 秀吉の謀将の石田三成や、増田|長盛《ながもり》というような人と、気が合わなかったのが原因の一つで、秀吉の愛妾の淀君なるものが、実子|秀頼《ひでより》を産んだところから、秀頼に家督をとらせたいと、淀君も思えば秀吉も思った。自然秀次が邪魔になる――というのが原因の第二
前へ 次へ
全20ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング