外へ出た。出た所に縁がある。縁を飛び下りた秋安は、声のした方へ突っ走った。
蒼白い紗布《しゃぎぬ》でも張り廻したような、月明の春の夜が広がっている。そういう春の夜の寵児かのように、のびやかな空へ顔を向けて、満開の白い木蓮が、簇々として咲いていたが、その木蓮の花の下に、抜身を引っ下げた一人の武士が、物思わしそうに佇んでいた。
見れば足許に一人の武士が、姿の様子で大方は解《わか》る、切られて転がって斃れていた。
秋安はそっちへ走り寄ったが、
「父上、何事でござりますか?」
抜身を引っ下げて佇んでいたのは、秋安の父秋元であった。
「うむ、秋安か、この有様だ」
それから太刀へ拭いをかけ、鞘へソロリと納めたが、
「実はな、音色が変わったのだ」
「は? 音色? 何でございますか?」
「調べていた鼓の音色なのだ。……それが何となく変わったのだ。……そういうことも無いことはない。おおよその楽器というものは、調べる人の心持によって、音色を変化させると共に、四辺《あたり》の著しい変化によっても、また音色を変えるものだ。……鼓の音色が変わったのだ。で、庭へ出て見たのさ。五六人の武士がいるではないか。で、誰何したというものだ。すると一人が切りかかって来た。で、一刀に切り仆したところ、後の者は一散に逃げてしまった」
死骸へ改めて眼をやったが
「その風俗で大概は知れる。困った奴らがやって来たものだ。何の目的かは知らないが。……其方《そち》も用心をするがよい」
花木の間だをくぐるようにして、秋元は静かに歩み去ったが、月光を浴びた背後《うしろ》姿が、ひどく心配のある人のようであった。
と、その時人の影が、忍びやかに秋安へ近づいて来た。
たしなみの懐刀を握りしめたところの、廻国風の娘であった。
「秋安様」と寄り添うようにした。
「ああここに切られた人が!」
「聚楽《じゅらく》の奴原《やつばら》にござりますよ」
秋安は死骸を指さしたが、
「貴方《あなた》を手籠めにいたそうとした、彼らの一人でござりますよ」
お紅には言葉が出なかった。俯向いて死骸を見下ろしている。
「都にあってもこの有様でござる。一度地方へ出られようものなら、もっと恐ろしい数々のことが、降りかかって来ることでござりましょう。お紅どのここへお止まりなされ。我々がご保護いたしましょう」
無意識に秋安は手を延ばした。
これもほとんど無意識のように、お紅も片手を上げた。
で、死骸を前にして、二人の手と手とが握られた。
白い木蓮が背景となって、手を取り合った男女の姿が、月下に幸福そうに立っている。
しかしこういう二人の恋が、無事に流れて行こうとは、想像されないことであった。
執念深くて淫蕩で、傍若無人で権勢を持った、聚楽の若い侍に、お紅は狙われているのである。
奪い取られると見做さなければならない。
どのように北畠一家の者が、そのお紅を保護した所で、守り切れないことともなろう。
しかし、お紅にも秋安にも、そういう形勢は解っていた。
「もしものことがあろうものなら、潔よく自害をいたします」
九燿の星の紋所の付いた、懐刀をお紅は秋安に示して、そういうことを云ったりした。
が、ともかくも五日十日と、その後無事に日が流れて、二人の恋は愈々益々、その密《こまやか》さを加えて行った。
不破小四郎の邸
「浮田鴨丸《うきたかもまる》めが不足している。ちょっと寂しい気持がする」
「まさかにあの晩に鴨丸めが、切り付けようとは思わなかった」
「性来鴨丸めは周章《あわて》者なのだ」
「それに北畠秋元めが、切り返そうとは思わなかった」
「それに第一秋元めは、どうして俺達の忍び込んだことを、感付いたものか合点がいかない」
「随分上手に忍び込んだのだが」
「のっそりと秋元が現われた時には、さすがに俺もギョッとしたよ」
「秋元め随分冴えた腕だの」
「一刀に鴨丸を斃したのだからな」
「仰天して俺達は逃げ出したが、いつまでもマゴマゴしていようものなら、やっぱり秋元に切られたかも知れない」
「切られないまでも捕らえられでもしたら、それこそ本当に目もあてられない」
「何と云ったところで若い娘を、引っ攫おうとしたのだからな」
「いぜん娘は北畠の邸に、身をかくしているということだ」
「外出などもしないそうだ」
「つまりは守られているのだろう」
不破小四郎の邸の一間で、四五人の若い武士《さむらい》達が、雑然として話している。
宵を過ごした初夏の夜で、衣笠《きぬがさ》山の方へでも翔《か》けるのであろう、杜鵑《ほととぎす》の声が聞こえてきた。
小四郎は秀次《ひでつぐ》の寵臣である。邸なども豪奢である。銀燭などが立ててある。
その銀燭を左手へ置いて、上座の円座に坐っているのは、邸の主人の小四郎で、前髪
前へ
次へ
全20ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング