秀次は睨んだが、
「嫉妬か!」
「上様!」
「邪魔をするか!」
「はなしておやり遊ばしませ」
「其方《そち》こそ放せ! 手を放せ!」
「上様、お慈悲にござります」
「ふん」といかにも憎々しく、秀次は鼻を鳴らしたが
「先刻《さっき》自害をした女のように其方も自害をしたいそうな」
「いっそお手にかけて下さりませ」
「望みか!」と云うと秀次は、ドンと片足を持ち上げたが、ウンとばかりに蹴仆した。
 と、悶絶をする声がした、胸を蹴られた葛葉の方は裾を乱して伏し転んだ。
 一瞬間のざわめきの起こったのは、座に侍《はべ》っていた妻妾や近習が、一時に動揺したからであった。その動揺が静まると、反動的の静けさが、大広間一杯に拡がった。
「今夜はこれで二人死んだ。おそらくまだまだ殺されるだろう。殺せ殺せ、目茶苦茶に殺せ! 聚楽の栄華も先が知れている」
 こう呟いた者があったが、刺繍《ぬいとり》の肩衣に前髪立の、眼のさめるような美少年であった。美童は不破伴作《ふわばんさく》であった。
 狂人じみた目付きをして、秀次は大広間を見廻したが、
「目障りになる! 片付けろ! 死骸は厭だ! 井戸へでも沈めろ!」
 それから千浪を引きずったが、
「今夜の伽《とぎ》だ! 嬉しそうに笑え!」
 で、襖を開けようとした。
 と、その襖が向こうから開いて、
「孫七郎様」と云う声が聞こえてきた。優しくて穏かではあったけれど、威厳のある老女の声であった。
 つと立ちいでた人物がある。
 円頂黒衣鼠色の衣裳、手に珠数をつまぐっている。眉長く鼻秀で、額は広く頤は厳しい。澄んではいるが鋭い眼、頬に無数の皺はあるが、かえって顔を高貴にしている。
 これこそ女傑|幸蔵主《こうぞうす》であった。
「相変わらずのお悪戯《いた》でござりますか」
 あたかも子供でもあしらうように、こう秀次に云いかけたが、咎めるような調子はなくて、なだめるような調子があった。そうしてそれが大広間の殺気と、秀次の兇暴の心持とを、平和な甘いものにした。
「幸蔵主の姥か」と鼻白んだように、秀次は千浪の手を放したが、
「俺《わし》はな心が寂しいのだよ」
 云い云い元の座へ押し坐った。
 と、幸蔵主も膝を揃えて、秀次の前へ坐ったが、手を上げると大広間を撫でるようにした。立ち去れという所作なのである。
 これで助かったというように、座に並んでいた妻妾達が近習の
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