親房《ちかふさ》の後胤として、非常に勝れた家柄であった。学者風の人物であるところから、公卿にも、武家にも仕えようとはせずと、豪族の一人として閑居していた。
聚楽第《じゅらくだい》の西の花園の地に、手広い屋敷を営んで、家の子郎党も多少貯え、近郷の者には尊敬され、太閤秀吉にも認められ、殿上人にも親しまれて、のびやかに風雅にくらしていた。しかし身分は無位無官で、地下侍には相違なかった。
「人間の栄華というようなものは、そうそう長くつづくものではない。よし又長くつづいたところで、大して嬉しいものではない。栄華には栄華の陰影《かげ》として、不安なものがあるものだ。人の本当の幸福は、小慾にあり知足にある」
これが秋元の心持であった。従って伏見桃山の栄華や、聚楽の豪奢に対しても、全くのところ風馬牛であった。
とは云え関白秀次の態度――すなわち兇暴と荒淫との、交響楽じみた態度については、苦々しく思っていた。
「今にあの卿は亡ぼされるであろう」と、人に向かって噂などもした。
そういう秋元の子であった。秋安も閑雅の人物であったが、若いだけに覇気があって、飯篠長威斎《いいささちょういさい》の剣法を学び、極意にさえも達していた。
そういう豪族の居間である。
秋安と美しい廻国風の娘と、語り合っているその部屋には、狩野山楽《かのうさんらく》の描いたところの、雌雄孔雀の金屏風が、紙燭の燈火《ひかり》を明るく受けて、さも華やかに輝いている。
「……そういう訳でございまして、妾《わたし》の父母と申しますものは、秀次公に滅ぼされました、佐々隆行《ささたかゆき》の一族で、相当に栄華にくらしました。でも両親が宗家と共に、城中で切腹いたしまして、妾一人が乳母や下僕に、わずかに守られて城を出てからは、昔の栄華は夢となり、丹波《たんば》の奥の狩野《かの》の庄で、みすぼらしく寂しく暮らしました。その中に親切な乳母も下僕も、この世を去ってしまいましたので、いよいよ妾は一人ぼっちとなり、途方にくれたのでござります。今は天下は治まりまして、秀次公には関白職、そうして妾は女の身分、それに戦いで滅ぼされましたは、戦国時代の習慣としまして、誰も怨もうこともなく、で、妾《わたくし》といたしましては、今さら父母の仇敵と、秀次公を狙おうなどとは、決して思っては居りませぬどころが、手頼《たよ》り無い身でござりますので、い
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