屋の独楽とは? 淀屋の独楽とは?」
「どうせ汝《おのれ》は死んで行く奴、秘密を教えても大事あるまい、そこで秘密を教えてやる。……浪速の豪商淀屋辰五郎、百万にも余る巨富を積み、栄耀栄華を極めたが、元禄年間|官《かみ》のお咎めを受け、家財一切を没収されたこと、汝といえども伝え聞いていよう。……しかるに辰五郎、事の起こる前、ひそかに家財の大半を分け、絶対秘密の場所へ隠し、その隠し場所を三個《みっつ》の独楽へ……とここまで申したら、万事推量出来るであろう。……汝が手に入れたあの独楽こそ、淀屋の独楽の一つなのじゃ。……今後汝によって三つの独楽を、それからそれと手に入れられ、独楽に記されてある隠語を解かれ、淀屋の巨財の隠し場所を知られ、巨財を汝に探し出されては、長年その独楽の行方を尋ね、淀屋の巨財を手に入れようと、苦心いたしおる我らにとっては、一大事とも一大事! そこで汝をこの場において殺し、汝の屋敷に潜入し、独楽をこっちへ奪い取るのだ!」
二本の刀を交叉させ、鍔と鍔とを迫り合わせ、顔と顔とをひた[#「ひた」に傍点]と付けながら、覚兵衛はそう云うとグーッと押した。
それをやんわり[#「やんわり」に傍点]と受けながら、主税は二歩ばかり後へ下った。
すると今度は山岸主税が、押手に出でてジリジリ[#「ジリジリ」は底本では「ヂリヂリ」]と進んだ。
二人の眼と眼とは暗い中で、さながら燠のように燃えている。
鍔迫り合いの危険さは、体の放れる一刹那にあった。遅れれば斬られ、逸《はや》まれば突かれる。さりとて焦躁《あせ》れば息切れを起こして、結局斃されてしまうのであった。
いぜんとして二人は迫り合っている。
そういう二人を中へ囲んで、飛田林覚兵衛の一味の者は、抜身を構え位い取りをし、隙があったら躍り込み、主税を討って取ろうものと、気息を呑んで機を待っていた。
と、あらかじめの計画だったらしい、
「やれ」と大音に叫ぶと共に、覚兵衛は烈しい体あたり[#「あたり」に傍点]をくれ、くれると同時に引く水のように、サーッと自身後へ引き、すぐに飜然と横へ飛んだ。
主税は体あたり[#「あたり」に傍点]をあてられ[#「あてられ」に傍点]て、思わずタジタジ[#「タジタジ」は底本では「タヂタヂ」]と後へ下ったが、踏み止まろうとした一瞬間に、相手に後へ引かれたため、体が延び足が進み、あたかも覚兵衛を追うかのように、覚兵衛の一味の屯している中へ、一文字に突き入った。
「しめた!」
「斬れ!」
「火に入る夏の虫!」
「わッはッはッ、斬れ、斬れ、斬れ!」
嘲笑《あざけり》、罵声《ののしり》、憎悪《にくしみ》の声の中に、縦横に上下に走る稲妻! それかのように十数本の白刃が、主税の周囲《まわり》で閃いた。
二声ばかり悲鳴が起こった。
バラバラと囲みが解けて散った。
乱れた髪、乱れた衣裳、敵の返り血を浴びて紅斑々! そういう姿の山岸主税は、血刀高々と頭上に捧げ、樫の木かのように立っている。
が、彼の足許には、死骸が二つころがっていた。
一人を取り囲んで十数人が、斬ろう突こうとしたところで、味方同士が邪魔となって、斬ることも突くことも出来ないものである。
そこを狙って敵二人まで、主税は討って取ったらしい。
地団太踏んで口惜しがったのは、飛田林覚兵衛であった。
「云い甲斐ない方々!」と杉の老木が、桶ほどの太さに立っている、その根元に突立ちながら、
「相手は一人、鬼神であろうと、討って取るに何の手間暇! ……もう一度引っつつんで斬り立てなされ! ……見られい彼奴《きゃつ》め心身疲れ、人心地とてない有様! 今が機会じゃ、ソレ斬り立てられい!」
覚兵衛の言葉は事実であった。
先刻《さっき》よりの乱闘に肉体《からだ》も精神《こころ》も疲労《つかれ》果てたらしい山岸主税は、立ってはいたが右へ左へ、ヒョロヒョロ、ヒョロヒョロとよろめいて、今にも仆れそうに見受けられた。
愛する人を
「そうだ!」「やれ!」と覚兵衛の一味が、さながら逆浪の寄せるように、主税《ちから》を目掛けて寄せた時、遥かあなたの木間から、薄赤い一点の火の光が、鬼火のように不意に現われて、こなたへユラユラと寄って来た。
「南無三宝! 方々待たれい! 火の光が見える、何者か来る! 目つけられては一大事! 残念ながら一まず引こう! 味方の死人|負傷者《ておい》を片付け、退散々々方々退散」と杉の根元にいる覚兵衛が、狼狽した声でそう叫んだ。
いかにも訓練が行き届いていた。その声に応じて十数人の、飛田林覚兵衛の一味達は、仆れている死人や負傷者を抱え、林を分け藪を巡り、いずこへともなく走り去った。
で、その後には気味の悪いような、静寂《しずけさ》ばかりがこの境地に残った。
常磐木《ときわぎ》――杉や松や柏や、榎、桧などの間に立ち雑って、仄白い花を咲かせていた桜の花がひとしきり、花弁《はなびら》を瀧のように零したのは、逃げて行く際に覚兵衛の一味が、それらの木々にぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]たからであろう。
と、俄然主税の体が、刀をしっかりと握ったまま腐木《くちき》のように地に仆れた。斬られて死んで斃れたのではなかった。
心身まったく疲労《つかれ》果て、気絶をして仆れたのである。
そういう主税の仆れている体へ、降りかかっているのは落花であり、そういう主税の方へ寄って来るのは薄赤い燈の光であった。
そうして薄赤いその燈の光は、昨夜御用地の林の中で、老人と少年と女猿廻しとが、かかげていたところの龕燈の火と、全く同じ光であった。その龕燈の燈が近づいて来る。ではあの老人と少年と、女猿廻しとがその燈と共に、近付いて来るものと解さなければならない。
でもにわかにその龕燈の燈は、大藪の辺りから横に逸れ、やがて大藪の陰へかくれ、ふたたび姿を現わさなかった。
そこで又この境地はひっそりとなり、鋭い切先の一所を、ギラギラ月光に光らせた抜身を、いまだにしっかり握っている主税が、干鱈のように仆れているばかりであった。
時がだんだんに経って行った。
やがて、主税は気絶から覚めた。
誰か自分を呼んでいるようである。
そうして、自分の後脳の下に、暖かい柔らかい枕があった。
主税はぼんやり眼を開けて見た。
自分の顔のすぐの真上に、自分の顔へ蔽いかぶさるように、星のような眼と、高い鼻と、薄くはあるが大型の口と、そういう道具の女の顔が、周囲《まわり》を黒の楕円形で仕切って、浮いているのが見て取られた。
お高祖頭巾で顔を包んだ、浪速《なにわ》あやめ[#「あやめ」に傍点]の顔であった。
(あやめ[#「あやめ」に傍点]がどうしてこんな所に?)
気力は恢復してはいなかったが、意識は返っていた主税はこう思って、口に出してそれを云おうとした。
でも言葉は出せなかった。それ程に衰弱しているのであった。眼を開けていることも出来なくなった。そこで彼は眼を閉じた。
そう、主税に膝枕をさせ、介抱している女はあやめ[#「あやめ」に傍点]であった。鼠小紋の小袖に小柳繻子の帯、紫の半襟というその風俗は、女太夫というよりも、町家の若女房という風であり、お高祖頭巾で顔を包んでいるので、謎を持った秘密の女めいても見えた。
「山岸様、山岸主税様! お気が付かれたそうな、まア嬉しい! 山岸様々々々!」とあやめ[#「あやめ」に傍点]はいかにも嬉しそうに、自分の顔を主税の顔へ近づけ、情熱的の声で云った。
「それに致しましても何て妾《わたし》は、申し訳のないこといたしましたことか! どうぞお許しなすって下さいまし。……ほんの妾の悪戯《いたずら》[#「《いたずら》」は底本では「《いたづら》」]心から、差しあげた独楽が原因となって、こんな恐ろしいことになるなんて。……それはあの独楽には何か秘密が、――深い秘密のあるということは、妾にも感づいてはおりましたが、でもそのためにあなた様へ、あの独楽を上げたのではごさいません。……ほんの妾の出来心から。……それもあなた様がお可愛らしかったから。……まあ厭な、なんて妾は……」
これがもし昼間であろうものなら、彼女の頬に赤味が注し、恥らいでその眼が潤んだことを、見てとることが出来たであろう。
勘兵衛や武士を殺した者は?
あやめ[#「あやめ」に傍点]があの独楽を手に入れたのは、浪速高津《なにわこうず》の古物商からであった。それも孕独楽《はらみごま》一揃いとして、普通に買入れたのに過ぎなかった。その親独楽も十個の子独楽も、名工四国太夫の製作にかかわる、名品であるということは、彼女にもよく解《わか》っていた。そうして子独楽の中の一個《ひとつ》だけが、廻すとその面へ文字を現わすことをも彼女はよく解っていた。
すると、或日一人の武士が、飛田林覚兵衛《とんだばやしかくべえ》と宣《なの》りながら、彼女の許へ訪ねて来て、孕独楽を譲ってくれるようにと云った。しかしあやめ[#「あやめ」に傍点]は商売道具だから、独楽は譲れないと断った。すると覚兵衛は子独楽の一つ、文字を現わす子独楽を譲ってくれるようにと云い、莫大な金高を切り出した。それであやめ[#「あやめ」に傍点]はその子独楽が、尋常の品でないことを知った。それにその子独楽一つだけを譲れば、孕独楽は後家独楽になってしまう。そこであやめ[#「あやめ」に傍点]は断った。
しかし、覚兵衛は断念しないで、その後もあやめを付け廻し、或いは嚇し或いは透かし[#「透かし」はママ]て、その子独楽を手中に入れようとした。それがあやめ[#「あやめ」に傍点]の疳に障り、感情的にその子独楽を、覚兵衛には譲るまいと決心した。と同時にその子独楽が、あやめ[#「あやめ」に傍点]には荷厄介の物に思われて来た。その中あやめ[#「あやめ」に傍点]は縁があって、江戸の両国へ出ることになった。
そこで浪速から江戸へ来た。するとどうだろう飛田林覚兵衛も、江戸へ追っかけて来たではないか。
こうして昨日《きのう》の昼席となった。
舞台で孕独楽を使っていると、間近の桟敷で美貌の若武士が――すなわち山岸主税なのであるが、熱心に芸当を見物していた。ところが同じその桟敷に、飛田林覚兵衛もいて、いかにも子独楽が欲しそうに、眼を据えて見物していた。
(可愛らしいお方)と主税に対しては思い、(小面憎い奴)と覚兵衛に対しては感じ、この二つの心持から、あやめ[#「あやめ」に傍点]は悪戯《いたずら》[#「《いたずら》」は底本では「《いたづら》」]をしてしまったのである。即ち舞台から例の小独楽を、見事に覚兵衛の眼を掠め、主税の袖の中へ投げ込んだのである。
(孕独楽が後家独楽になろうとままよ、妾《わたし》にはあんな子独楽用はない。……これで本当にサバサバしてしまった)
あやめ[#「あやめ」に傍点]はそう思ったことであった。
そうして彼女は今日の昼席から、定席へも出演《で》ないことに決心し、宿所《やど》をさえ出て行方を眩ましてしまった。それは彼女にとっては一生の大事業を、決行することに心を定め、その準備に取りかかったからであった。
でも彼女は夕方になった時、職場が恋しくなって来た。そこでこっそり出かけて行った。ところが裏木戸の辺りまで行って見ると、太夫元の勘兵衛と山岸主税とが、自分のことについて話しているではないか。そこで、彼女は側《そば》の空店《あきだな》の中へ、素早く入って身を忍ばせ、二人の話を立聞きした。その中に勘兵衛が無礼の仕打ちを、主税に対してとろうとした。
(どうで勘兵衛は遅かれ早かれ、妾が手にかけて殺さなければ、虫の納まらない奴なのだから、いっそ此処で殺してしまおう)
あやめ[#「あやめ」に傍点]は心をそう定めた。
で、手練の独楽の紐を――麻と絹糸と女の髪の毛とで、蛇のように強い弾力性を持たせて、独特に作った独楽の紐を、雨戸の隙から繰り出して、勘兵衛の首へ巻き付けて、締めて他愛なく殺してしまった。
(これで妾の一生の大事業の、一つだけを片付けたというものさ)
もっと苦しめて殺してやれなかっ
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