へ現われた文字といえば『淀』『荏原屋敷』『有りて』『「飛加藤の亜流』という十五文字だし、以前《まえ》にわしの持っていた独楽へ現われた文字は、『屋の財宝は』『代々』『守護す』『見る日は南』の十五文字じゃ。……で、わしは先刻《さっき》からこの三十文字を、いろいろに考えて綴り合わせてみたが、こう綴るのが正しいらしい……ともかくも意味をなすよ『淀屋の財宝は代々荏原屋敷に有りて、飛加藤の亜流守護す』と、なるのだからの」
「飛加藤の亜流とは何でしょう?」
 主馬之進の妻の松女が訊いた。
 彼女はもう四十を過ごしていた。でも美貌は失われていなかった。大旗本以上の豪族であるところの、荏原屋敷の主婦としての貫禄、それも体に備わっていた。あやめ[#「あやめ」に傍点]やお葉の母親だけあって、品位なども人に立ち勝っていた。が、蝋燭の燈に照らされると、さすが小鼻の左右に深い陰影《かげ》などがつき、全体に窶れが窺われ、それに眼などもおちつか[#「おちつか」に傍点]ないで、なにか良心に咎められている。――そんなようなところが感じられた。
「飛加藤の亜流と申すのはな」と、頼母は松女を見い見い云った。
「白昼に龕燈をともしなどして、奇行をして世間を歩き廻っている、隠者のような老人とのことで。……勘兵衛めがそう云いましたよ。今日も夕方この近くの野道で、怪しい行ないをいたしましたとかで……」
「その飛加藤の亜流とかいう老人が、代々財宝を守護するなどと、文字の上に現われました以上は、その老人を捕らえませねば……」
「左様、捕らえて糺明するのが、万全の策には相違ござらぬが、その飛加藤の亜流という老人、どこにいるのやらどこへ現われるのやら、とんと我らにしれませぬのでな」
「それより……」と主馬之進が口を出した。
「『見る日は南』という訳のわらぬ文句が、隠語の中にありまするが、何のことでございましょうな?」
「それがさ、わしにも解《わか》らぬのだよ」と頼母は当惑したように云った。
「この文句だけが独立して――他の文句と飛び離れて記されてあるので、何ともわしにも意味が解らぬ。……だがしかしそれだけに、この文句の意味が解けた時に、淀屋の財宝の真の在場所が、解るようにも思われる……」
「三つ目の淀屋の独楽を目つけ出し、隠語を探り知りました時、この文句の意味も自ずから解けると、そんなように思われまするが」
「そうだよそうだよわしもそう思う。が、三つ目の淀屋の独楽が、果たしてどこにあるものやら、とんとわしには解らぬのでのう」
 三人はここで黙ってしまった。
 屋敷の構内に古池でもあって、そこに鷭《ばん》でも住んでいるのだろう、その啼声と羽搏きとが聞こえた。
 と、ふいにこの時|茂《しげみ》の陰から、「誰だ!」という誰何の声が聞こえた。
 三人はハッとして顔を見合わせた。と、すぐに悲鳴が聞こえ、つづいて物の仆れる音がした。三人は思わず立ち上った。
 するとこの亭を囲繞《とりま》いている木々の向こうから、この亭の人々を警護していた、飛田林覚兵衛と勘兵衛との声が、狼狽したらしく聞こえてきた。

   母娘は逢ったが

「曲者だ!」
「追え!」
「それ向こうへ逃げたぞ!」
「斬られたのは近藤氏じゃ」
 こんな声が聞こえてきた。そうして覚兵衛と勘兵衛とが、閉扉《あけず》の館の方角をさして、走って行く足音が聞こえてきた。
「行ってみよう」と頼母は云って、榻から立ち上って歩き出した。
「それでは私も」と主馬之進も云って兄に続いて亭を出た。
 亭には一人松女だけが残った。
 松女は寂しそうに卓へ倚り、両の肘を卓の上へのせ、その上へ顔をうずめるようにし、何やら物思いに耽っていた。燃え尽きかけている蝋燭の燈が、白い細い頸《うなじ》の辺りへ、琥珀色の光を投げているのが、妙にこの女を佗しく見せた。
 といつの間に現われたものか、その松女のすぐの背後《うしろ》に、妖怪《もののけ》のような女の姿が、朦朧として佇んでいた。
 猿廻し姿のお葉であった。じっと松女を見詰めている。その様子が何となく松女を狙い、襲おうとでもしているような様子で……
 と、不意にお葉の片手が上り、松女の肩を抑えたかと思うと、
「お母様!」と忍び音に云った。
 松女はひどく驚いたらしく、顔を上げると、
「誰だえ※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と訊いた。
「お母様、わたしでございます」
「お母様だって? このわたしを! まアまアまア失礼な! 見ればみすぼらしい猿廻しらしいが、夜ふけに無断にこんな所へ来て、わたしに向かってお母様などと! ……怪しいお人だ、人を呼ぼうか!」
「お母様、お久しぶりねえ」
「…………」
「お別れしたのは十年前の、雪の積もった日でございましたが、……お母様もお変わりなさいましたこと。……でも妾《わたし》は、このお葉は、もっと変わりましてございます。……苦労したからでございましょうよ。……産みのお母様がご覽になっても、それと知れない程ですものねえ。……妾はお葉でございます……」
「お葉※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 それは譫言《うわごと》のような、魘されているような声であった。よろめきながら立ち上り、よろめきながら前へ進み、松女は近々と顔を寄せた。
「ほんに……お前は……おお……お葉だ! お葉だ!」
 グラグラと体が傾ぎ、前のめり[#「のめり」に傍点]にのめったかと思うと、もう親娘《おやこ》は抱き合っていた。しばらくは二人のすすり泣きの声が、しずかな夜の中に震えて聞こえた。
「不孝者! お葉! だいそれた[#「だいそれた」に傍点]不孝者! 親を捨て家出をして! ……」
 やがて松女の感情の籠った、途切れ途切れの声が響いた。
「でも……それでも……とうとうお葉や、よく帰って来ておくれだったねえ。……どこへもやらない、どこへもやらない! 家に置きます。妾《わたし》の手許へ!」
「お母様!」と、お葉は烈しく云った。
「あのお部屋へ参ろうではございませんか!」
「何をお云いだ、え、お葉や! あのお部屋へとは、お葉やお葉や!」
「あのお部屋へ参ろうではございませんか。……あのお部屋へお母様をお連れして、懺悔と浄罪とをさせようため、十年ぶりにこのお葉は、帰って来たのでございます!」
「お葉、それでは、それではお前は?」
「知っておりました、知っておりました! 知っておればこそこのお葉は、この罪悪の巣におられず、家出をしたのでございます!」
「そんな……お前……いえいえそれは!」
「悪人! 姦婦! 八ツ裂きにしてやろうか! ……いえいえいえ、やっぱりお母様だ! ……わたしを、わたしを、いとしがり可愛がり、花簪《はなかんざし》を買って下されたり、抱いて寝させて下さいました、産みのお母様でございます! ……でも、おおおお、そのお母様が、あの建物で、あのお部屋で……」
「いいえ妾は……いいえこの手で……」
「存じております、何のお母様が、何の悪行をなさいましたものか! ……ただお母様はみすみす[#「みすみす」に傍点]ズルズルと、引き込まれただけでございます。……ですから妾は申しております。懺悔なされて下さりませと……」
「行けない、妾は、あの部屋へは! ……あの時以来十年もの間、雨戸を閉め切り開けたことのない、あの建物のあのお部屋なのだよ。……堪忍しておくれ、妾には行けない!」

   恋と敵のあいだ

「おお、まアそれではあのお部屋は、十年間|閉扉《あけず》の間か! ……さすが悪漢毒婦にも、罪業《つみ》を恐れる善根が、心の片隅に残っていたそうな。……ではあのお部屋にはあのお方の、いまだに浮かばれない修羅の妄執が、黴と湿気と闇とに包まれ、残っておることでございましょうよ。なにより幸い、なにより幸い、さあそのお部屋へお入りなされて、懺悔なさりませ、懺悔なさりませ! そうしてそれから妾《わたし》と共々、復讐の手段を講じましょう。……」
「復讐? お葉や、復讐とは?」
「わたしにとりましては実のお父様、お母様にとりましては最初の良人《おっと》の、先代の荏原屋敷の主人を殺した、当代の主人の主馬之進《しゅめのしん》を!」
「ヒエーッ、それでは主馬之進を!」
「お父様を殺した主馬之進を殺し、お父様の怨みを晴らすのさ。……さあお母様参りましょう!」
 お葉は、松女《まつじょ》の腕を握り、亭から外へ引き出した。
 この頃亭から少し離れた、閉扉の館の側《そば》の木立の陰に、主税《ちから》とあやめ[#「あやめ」に傍点]とが身体《からだ》をよせながら、地に腹這い呼吸《いき》を呑んでいた。
 主税が片手に握っているものは、血のしたたる抜身であった。
 それにしてもどうして主税やあやめ[#「あやめ」に傍点]や、お葉までが荏原屋敷へ、この夜忍び込んで来たのであろう?
 自分たちの持っていた淀屋の独楽は何者かに奪われてしまったけれど、藤八猿から得た独楽によって、幾行かの隠語《かくしことば》を知ることが出来た。
 そこで主税はその隠語を、以前《まえ》から知っている隠語と合わせて、何かの意味を探ろうとした。隠語はこのように綴られた。……「淀屋の財宝は代々荏原屋敷にありて飛加藤の亜流[#「亜流」は底本では「悪流」]守護す。見る日は南」と。「見る日は南」という意味は解《わか》らなかったが、その他の意味はよく解った。飛加藤の亜流[#「亜流」は底本では「悪流」]という老人のことも、お葉のくわしい説明によって解った。そうしてどっちみち[#「どっちみち」に傍点]淀屋の財宝が、荏原屋敷のどこかにあるということが、ハッキリ主税に感じられた。そこで主税は荏原屋敷へ忍び込んで、財宝の在場所を探りたいと思った。
 あやめ[#「あやめ」に傍点]はあやめ[#「あやめ」に傍点]で又思った。
(姉妹《きょうだい》二人が揃ったのだから、すぐにも荏原屋敷へ乗り込んで行って、主馬之進を殺して復讐したい。お父様の怨みを晴らしたい)
 双方の祈願《ねがい》が一緒になって、あやめ[#「あやめ」に傍点]とお葉と主税とは、この夜荏原屋敷へ忍び込んだのであった。
 さて三人忍び込んでみれば、天の助けというのでもあろうか、頼母がい、勘兵衛がいた。
(よし、それでは次々に、機をみて討って取ってやろう)
 木陰に隠れて機会《おり》を待った。
 と、構え内を警護していた、頼母の家来の覆面武士の一人に、見現わされて誰何された。主税はその覆面武士を、一刀の下に斬り仆した。と、大勢がこの方面へ走って来た。主税はあやめ[#「あやめ」に傍点]を引っ抱えて、木立の陰へ隠れたのであるが、どうしたのかお葉は一人離れて、亭の方へ忍んで行った。声をかけて止めようと思ったが、声をあげたら敵の者共に、隠れ場所を知られる不安があった。そこで二人は無言のまま見過ごし、ここに忍んでいるのであった。……
 二人の眼前にみえているものは、主税に斬り仆された覆面武士を囲んで、同僚の三人の覆面武士と、頼母と主馬之進と飛田林覚兵衛と、絞殺したはずの勘兵衛とが、佇んでいる姿であった。
 飛び出していって斬ってかかることは、二人にとっては何でもなかったが、敵は大勢であり味方は二人、返り討ちに遇う心配があった。機《おり》を見て別々に一人々々、討って取らなければならなかった。
 二人は呼吸《いき》を呑み潜んでいた。

   閉扉の館

「曲者を探せ!」という烈しい怒声が、頼母の口からほとばしったのは、それから間もなくのことであった。
 俄然武士たちは四方へ散った。そして二人の覆面武士が主税たちの方へ小走って来た。
「居たーッ」と一人の覆面武士が叫んだ。
 だがもうその次の瞬間には、躍り上った主税によって、斬り仆されてノタウッていた。
「汝《おのれ》!」ともう一人の覆面武士が、主税を目掛けて斬り込んで来た。
 そこを横からあやめ[#「あやめ」に傍点]が突いた。
 その武士の仆れるのを後に見捨て、
「主税様、こっちへ」と主税の手を引き、あやめ[#「あやめ」に傍点]は木立をくぐって走った。……
 案内を知っている自分の屋敷の、木立や茂や築山などの多い
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