れ!」と主税は怒って呶鳴った。
「奪ったとは何だ、無礼千万! 拙者は武士だ、女芸人風情より……」
「奪ったでなければ貰ったか!」
「こやつ、いよいよ……汝《おのれ》、一刀に!」
「切ろうとて切られぬわい。アッハッハッ、切られぬわい。……が、騒ぐはお互いに愚、愚というよりはお互いに損、そこで穏やかにまた話じゃ。……否」というとその浪人は、しばらくじっと考えたが、
「口を酸くして説いたところで、しょせん貴殿には拙者の手などへ、みすみすその独楽お渡し下さるまいよ、……そこで、今日はこれでお別れいたす。……だが、貴殿に申し上げておくが、その独楽貴殿のお手にあるということを、拙者この眼で見た以上、拙者か拙者の同志かが、早晩必ず貴殿のお手より、その独楽を当方へ奪い取るでござろう。――ということを申し上げておく」
言いすてると浪人は主税へ背を向け、夕陽が消えて宵が迫っているのに、なおも人通りの多い往来《とおり》を、本所の方へ歩いて行った。
闇に降る刃
その浪人の背後《うしろ》姿を、主税はしばらく見送ったが、
(変な男だ)と口の中で呟き、やがて自分も人波を分け、浅草の方へ歩き出した。
歩きながら袖の中の独楽を、主税はしっかりと握りしめ、
――あの浪人をはじめとして、同志だという多数の人々が、永年この独楽を探していたという。ではこの独楽には尋常《ひととおり》ならない、価値と秘密があるのだろう。よし、では、急いで家へ帰って、根気よく独楽を廻すことによって、独楽の面へ現われる文字を集め、その秘密を解き価値を発見《みつ》けてやろう。――興味をもってこう思った。
(駕籠にでも乗って行こうかしら?)
(いや)と彼は思い返した。
(暗い所へでも差しかかった時、あの浪人か浪人の同志にでも、突然抜身を刺し込まれたら、駕籠では防ぎようがないからな。……先刻《さっき》の浪人の剣幕では、それくらいのことはやりかねない)
用心しいしい歩くことに決めた。
平川町を通り堀田町を通った。
右手に定火消の長屋があり、左手に岡部だの小泉だの、三上だのという旗本屋敷のある、御用地近くまで歩いて来た時には、夜も多少更けていた。
御用地を抜ければ田安御門で、それを通れば自分の屋敷へ行けた。それで、主税は安堵の思いをしながら、御用地の方へ足を向けた。
しかし、小泉の土塀を巡って、左の方へ曲がろうとした時、
「居たぞ!」「捕らえろ!」「斬ってしまえ!」と言う、荒々しい男の声が聞こえ、瞬間数人の武士が殺到して来た。
(出たな!)と主税は刹那に感じ、真先に切り込んで来た武士を反《かわ》し、横から切り込んで来た武士の鳩尾《みぞおち》へ、拳で一つあてみ[#「あてみ」に傍点]をくれ、この勢いに驚いて、三人の武士が後へ退いた隙に、はじめて刀を引っこ抜き、正眼に構えて身を固めた。
すると、その時一人の武士が、主税を透かして見るようにしたが、
「や、貴殿は山岸氏ではないか」と驚いたように声をかけた。
主税も驚いて透かして見たが、
「何だ貴公、鷲見《すみ》ではないか」
「さようさよう鷲見|与四郎《よしろう》じゃ」
それは同じ田安家の家臣で、主税とは友人の関係にある、近習役の鷲見与四郎であった。
見ればその他の武士たちも、ことごとく同家中の同僚であった。
主税は唖然として眉をひそめたが、
「呆れた話じゃ、どうしたというのだ」
「申し訳ない、人違いなのじゃ」
言い言い与四郎は小鬢を掻いた。
「承知の通りのお館の盗難、そこで拙者ら相談いたし、盗人をひっ捕らえようといたしてな、今夜もお館を中心にして、四方を見廻っていたところ、猿廻しめに邂逅いたした」
「猿廻し? 猿廻しとは?」
「長屋の女小供の噂によれば、この頃若い猿廻しめが、しげしげお長屋へやって来て、猿を廻して銭を乞うそうじゃ」
「そこで、怪しいと認めたのじゃな」
「いかにも、怪しいと認めたのじゃ。……その怪しい猿廻しめに、ついそこで逢ったので、ひっ捕らえようとしたところ、逃げ出しおって行方不明よ」
「なに逃げ出した? それなら怪しい」
「……そこへ貴殿が土塀を巡って、突然姿をあらわしたので……」
「猿まわしと見誤ったというのか?」
「その通りじゃ、いやはやどうも」
「拙者猿は持っていない」
「御意で、いやはや、アッハッハッ」
「そそっかしいにも程があるな」
「程があるとも、一言もない、怪我なかったが幸いじゃ」
「すんでに貴公を斬るところだった。これから貴公たちどうするつもりじゃ」
「業腹[#「業腹」は底本では「剛腹」]じゃ。このままではのう。……そこでこの辺りをもう一度探して……」
「人違いをして叩っ切られるか」
「まさか、そうそうは、アッハッハッ。……貴殿も一緒に探さぬかな」
「厭なことじゃ。ご免蒙ろう。……今日拙者は非番なのでな、そこで両国へ行ったところ、あそこへ行くと妙なもので、田舎者《おのぼりさん》のような気持になる。それで拙者もその気になって、曲独楽の定席へ飛び込んだものよ。すると、そこに綺麗な女太夫がいて……」
「ははあ、その美形を呼び出して、船宿でか? ……こいつがこいつが!」
「何の馬鹿らしいそのようなこと。……もう女には飽きている身じゃ。……ただその美しい女太夫から、珍らしい物を貰うたので、これから緩々《ゆるゆる》屋敷へ帰って、その物を味わおうとこういうのじゃ。……ご免」と主税は歩き出した。
猿廻し
歩きながら考えた。
何故この頃お館には、金子などには眼をくれず、器物ばかりを狙って盗む、ああいう盗難があるのだろう? それも一度ならずも二度三度、頻々としてあるのだろう?
(ある何物かを手に入れようとして、それに関係のありそうな器物を、狙いうちにして盗んでいるようだ。……そのある物とは何だろう?)
これまで盗まれた器物について、彼は記憶を辿ってみた。
蒔絵の文庫、青銅の香爐、明兆《みんちょう》の仏書、利休の茶柄杓、世阿弥筆の謠の本……等々高価の物ばかりであった。
(盗難も盗難だがこのために、お館の中が不安になり、お互い同士疑い合うようになり、憂鬱の気の漂うことが、どうにもこうにもやりきれない)
こう主税は思うのであった。
(お互い同士疑い合うのも、理の当然ということが出来る。お館の中に内通者があって、外の盗賊と連絡取ればこそ、ああいう盗みが出来るのだからなア。……そこで内通者は誰だろうかと、お互い同士疑い合うのさ)
主税はこんなことを考えながら、御用地の辺りまで歩いて来た。
御用地なので空地ではあるが、木も雑草も繁っており、石材なども置いてあり、祠なども立っており、水溜や池などもある。そういう林であり藪地なのであった。
と、その林の奥の方から、キ――ッという猿の啼声が、物悲しそうに聞こえてきた。
(おや)と主税は足を止めた。
(いかに藪地であろうとも、猿など住んでいるはずはない。……では話の猿廻しが?)
そこで主税は堰を飛び越え、御用地の奥の方へ分け入った。草の露が足をぬらし、木の枝が顔を払ったりした。
また猿の啼声が聞こえてきた。
で、主税は突き進んだ。
すると、果たして一人の猿廻しが、猿を膝の上へ抱き上げて、祠の裾の辺りへうずくまり、編笠をかむった顔を俯向けて、木洩れの月光に肩の辺りを明るめ、寂しそうにしているのが見えた。
「猿廻し!」と声をかけ、突然主税はその前へ立った。
「用がある、拙者と一緒に参れ!」
「あッ」と猿廻しは飛び上ったが、木の間をくぐって逃げようとした。
「待て!」
主税は足を飛ばせ、素早くその前へ走って行き、左右に両手を開いて叫んだ。
「逃げようとて逃がしはせぬ、無理に逃げればぶった斬るぞ!」
「…………」
しかし無言で猿廻しは、両手で猿を頭上に捧げたが、バッとばかりに投げつけた。
キ――ッと猿は宙で啼き、主税の顔へ飛びついて来た。
「馬鹿者!」
怒号して拳を固め、猿を地上へ叩き落とし、主税は猛然と躍りかかった。
だが、何と猿廻しの素早いことか、こんもり盛り上っている山査子《さんざし》の叢《むら》の、丘のように高い裾を巡って、もう彼方《むこう》へ走っていた。
すぐに姿が見えなくなった。
(きゃつこそ猿だ! なんという敏捷《すばしっこ》さ!)
主税は一面感心もし、また一面怒りを感じ、憮然として佇んだが、気がついて地上へ眼をやった。
叩き落とした猿のことが、ちょっと気がかりになったからである。
木洩れの月光が銀箔のような斑《ふ》を、枯草ばかりで青草のない、まだ春なかばの地面のあちこちに、露を光らせて敷いていて、ぼっ[#「ぼっ」に傍点]と地面は明るかったが、猿の姿は見えなかった。
(たしかこの辺りへ叩き落としたはずだが)
主税は地面へ顔を持って行った。
「あ」
声に出して思わず言った。
小独楽が一個《ひとつ》落ちているではないか。
主税は袖を探ってみた。
袖の中にも小独楽はあった。
(では別の独楽なのだな)
地上の独楽を拾い上げ、主税は眼に近く持って来た。その独楽は大きさから形から、袖の中の独楽と同じであった。
「では」と呟いて左の掌の上で、主税は独楽を捻って廻し、月光の中へ掌を差し出し、廻る独楽の面をじっと見詰めた。
しかし、独楽の面には、なんらの文字も現われなかった。
(この独楽には細工はないとみえる)
いささか失望を感じながら、廻り止んだ独楽をつまみ上げ、なお仔細《こまか》く調べてみた。
すると、独楽の面の手触りが何となく違うように思われた。
(はてな?)と主税は指に力を罩《こ》め、その面を強く左の方へ擦った。
不思議な老人
「おおそうか、蓋なのか」と、擦ったに連れて独楽の面が弛み、心棒を中心にして持ち上ったので、そう主税《ちから》は呟いてすぐにその蓋を抜いてみた。
独楽の中は空洞《うつろ》になっていて畳んだ紙が入れてあった。
何か書いてあるようである。
そこで、紙を延ばしてみた。
[#ここから3字下げ]
三十三、四十八、二十九、二十四、二十二、四十五、四十八、四、三十五
[#ここで字下げ終わり]
と書いてあった。
(何だつまらない)と主税は呟き、紙を丸めて捨ようとしたが、
(いや待てよ、隠語《かくしことば》かもしれない)
ふとこんなように思われたので、またその紙へ眼を落とし、書かれてある数字を口の中で読んだ。
それから指を折って数え出した。
かなり長い間うち案じた。
「そうか!」と声に出して呟いた時には、主税の顔は硬ばっていた。
(ふうん、やはりそうだったのか、……しかし一体何者なのであろう?)
思いあたることがあると見えて、主税はグッと眼を据えて、空の一所へ視線をやった。
と、その視線の遥かかなたの、木立の間から一点の火光《ひかり》が、薄赤い色に輝いて見えた。
その火はユラユラと揺れたようであったが、やがて宙にとどまって、もう揺れようとはしなかった。
(こんな夜更けに御用地などで、火を点《と》もすものがあろうとは?)
重ね重ね起こる変わった事件に、今では主税は当惑したが、しかし好奇心は失われないばかりか、かえって一層増して来た。
(何者であるか見届けてやろう)
新規に得た独楽を袖の中へ入れ、足を早めて火光の見える方へ、木立をくぐり藪を巡って進んだ。
火光から数間のこなたまで来た時、その火光が龕燈の光であり、その龕燈は藪を背にした、栗の木の枝にかけられてある。――ということが見てとられた。
だがその他には何があったか?
その火の光に朦朧と照らされ、袖無を着、伊賀袴を穿いた、白髪白髯の老人と、筒袖を着、伊賀袴を穿いた、十五六歳の美少年とが、草の上に坐っていた。
いやその他にも居るものがあった。
例の猿廻しと例の猿とが同じく草の上に坐っていた。
(汝《おのれ》!)と主税は心から怒った。
(汝、猿廻しめ、人もなげな! 遠く逃げ延びて隠れればこそ、このような手近い所にいて、火まで燈して平然としているとは! 見おれ[#「見おれ」は底本では「見をれ」]、こやつ
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