仇討姉妹笠
国枝史郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)社殿《やしろ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)忙しそうに又|長閑《のどか》そうに

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
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   袖の中には?

 舞台には季節にふさわしい、夜桜の景がかざられてあった。
 奥に深々と見えているのは、祗園辺りの社殿《やしろ》であろう、朱の鳥居や春日燈籠などが、書割の花の間に見え隠れしていた。
 上から下げられてある桜の釣花の、紙細工の花弁が枝からもげて、時々舞台へ散ってくるのも、なかなか風情のある眺望《ながめ》であった。
 濃化粧の顔、高島田、金糸銀糸で刺繍《ぬいとり》をした肩衣《かたぎぬ》、そうして熨斗目《のしめ》の紫の振袖――そういう姿の女太夫の、曲独楽使いの浪速《なにわ》あやめ[#「あやめ」に傍点]が、いまその舞台に佇みながら、口上を述べているのであった。
「独楽のはじまりは唐の海螺弄《はいまわし》、すなわち海の螺貝《らがい》を採り、廻しましたのがそのはじまり、本朝に渡来いたしまして、大宮人のお気に召し、木作りとなって喜遊道具、十八種の中に数えられましたが、民間にはいってはいよいよますます、製法使法発達いたし、浪速の建部四国《たてべしこく》太夫が、わけても製法使法の達人、無双の名人にござりました。これより妾《わたし》の使いまする独楽は、その四国太夫の製法にかかわる、直径《さしわたし》一尺の孕《はらみ》独楽、用うる紐は一丈と八尺、麻に絹に女の髪を、綯《な》い交ぜにしたものにござります。……サッと投げてスッと引く、紐さばきを先ずご覧《ろう》じませ。……紐を放れた孕独楽が、さながら生ける魂あって、自在に動く神妙の働き、お眼とめてご覧じ下さりませ! ……東西々々」
 こういう声に連れて、楽屋の方からも東西々々という声が、さも景気よく聞こえてきた。
 すると、あやめ[#「あやめ」に傍点]は赤毛氈を掛けた、傍《かたえ》の台から大独楽を取上げ、それへ克明に紐を捲いたが、がぜん左肩を上へ上げ、独楽を持った右手を頭上にかざすと、独楽を宙へ投げ上げた。
 次の瞬間に見えたものは、翩翻と返って来た長紐と、鳥居の一所に静止して、キリキリ廻っている独楽とであった。
 そうしてその次に起こったことは、土間に桟敷に充ち充ちていた、老若男女の見物が、拍手喝采したことであった。
 しかし壮観《みもの》はそればかりではなく、すぐに続いて見事な業が、見物の眼を眩惑《くら》ました。
 あやめ[#「あやめ」に傍点]が黒地に金泥をもって、日輪を描き出した扇を開き、それをもって大独楽を受けたとたんに、その大独楽が左右に割れ、その中から幾個《いくつ》かの小独楽を産み出し、産み出された小独楽が石燈籠や鳥居や、社殿の家根《やね》などへ飛んで行き、そこで廻り出したことであった。
 また見物たちは喝采した。
 と、この時舞台に近い桟敷で、人々に交って見物していた二十五六歳の武士があったが、
「縹緻《きりょう》も佳《よ》いが芸《げい》も旨《うま》いわい」と口の中で呟いた。
 田安中納言家《たやすちゅうなごんけ》の近習役の、山岸主税《やまぎしちから》という武士であった。
 色白の細面、秀でた眉、高い鼻、いつも微笑しているような口、細味ではあるが睫毛が濃く、光こそ鋭く強かったが、でも涼しい朗かな眼――主税は稀に見る美青年であった。
 その主税の秀麗な姿が、曲独楽定席のこの小屋を出たのは、それから間もなくのことであり、小屋の前に延びている盛場の、西両国の広小路を、両国橋の方へ歩いて行くのが、群集の間に雑って見えた。
 もう夕暮ではあったけれど、ここは何という雑踏なのであろう。
 武士、町人、鳶ノ者、折助《おりすけ》、婢女《げじょ》、田舎者《おのぼりさん》、職人から医者、[#「医者、」は底本では「医者」]野幇間《のだいこ》、芸者《はおり》、茶屋女、女房子供――あらゆる社会《うきよ》の人々が、忙しそうに又|長閑《のどか》そうに、往くさ来るさしているではないか。
 無理もない! 歓楽境なのだから。
 だから往来の片側には、屋台店が並んでおり、見世物小屋が立っており、幟《のぼり》や旗がはためいており、また反対の片側には、隅田川に添って土地名物の「梅本」だの「うれし野」だのというような、水茶屋が軒を並べていた。
 主税は橋の方へ足を進めた。
 橋の上まで来た時である、
「おや」と彼は呟いて、左の袖へ手を入れた。
「あ」と思わず声をあげた。
 袖の中には小独楽が入っていたからである。
(一体これはどうしたというのだ)
 独楽を掌《てのひら》の上へ載せ、体を欄干へもたせかけ、主税はぼんやり考え込んだ。
 が、ふと彼に考えられたことは、あやめ[#「あやめ」に傍点]が舞台から彼の袖の中へ、この独楽を投げ込んだということであった。
(あれほどの芸の持主なのだから、それくらいのことは出来るだろうが、それにしても何故に特に自分へこのようなことをしたのだろう?)
 これが不思議でならなかった。

   怪しの浪人

 ふと心棒を指で摘み、何気なく一捻り捻ってみた。
「あ」と又も彼は言った。
 独楽は掌の上で廻っている。
 その独楽の心棒を中心にして、独楽の面に幾個《いくつ》かの文字が白く朦朧と現われたからである。
「淀」という字がハッキリと見えた。
 と、独楽は廻り切って倒れた。
 同時に文字も消えてしまった。
「変だ」と主税《ちから》は呟きながら、改めて独楽を取り上げて、眼に近付けて子細に見た。
 何の木で作られてある独楽なのか、作られてから幾年を経ているものか、それが上作なのか凡作なのか、何型に属する独楽なのか、そういう方面に関しては、彼は全く無知であった。が、そういう無知の彼にも、何となくこの独楽が凡作でなく、そうして制作されて以来、かなりの年月を経ていることが感じられてならなかった。
 この独楽は直径二寸ほどのもので、全身黒く塗られていて、面に無数の筋が入っていた。
 しかし、文字などは一字も書いてなかった。
「変だ」と同じことを呟きながら、なおも主税は独楽を見詰めていたが、また心棒を指で摘み、力を罩《こ》めて強く捻った。
 独楽は烈しく廻り出し、その面へ又文字を現わした。しかし不思議にも今度の文字は、さっきの文字とは違うようであった。
「淀」という文字などは見えなかった。
 その代わりかなりハッキリと「荏原《えばら》屋敷」という文字が現われて見えた。
「面の筋に細工があって、廻り方の強さ弱さによって、いろいろの文字を現わすらしい」
(そうするとこの独楽には秘密があるぞ)
 主税はにわかに興味を感じて来た。
 すると、その時背後から、
「お武家、珍しいものをお持ちだの」と錆のある声で言うものがあった。
 驚いて主税は振り返って見た。
 三十五六の浪人らしい武士が、微笑を含んで立っていた。
 髪を総髪の大束《おおたぶさ》に結び、素足に草履を穿いている。夕陽の色に照らされていながら、なお蒼白く感じられるほど、その顔色は白かった。左の眼に星の入っているのが、いよいよこの浪人を気味悪いものにしていた。
「珍らしいもの? ……何でござるな?」
 主税は独楽を掌に握り、何気なさそうに訊き返した。
「貴殿、手中に握っておられるもので」
「ははあこれで、独楽でござるか。アッハッハッ、子供騙しのようなもので」
「子供騙しと仰せられるなら、その品拙者に下さるまいか」
「…………」
「子供騙しではござるまい」
「…………」
「その品どちらで手に入れられましたかな?」
「ほんの偶然に……たった今しがた」
「ほほう偶然に……それも今しがた……それはそれはご運のよいことで……それに引き換え運の悪い者は、その品を手中に入れようとして、長の年月を旅から旅へ流浪いたしておりまするよ」
「…………」
「貴殿その品の何物であるかを、ではご存知ではござるまいな?」
「左様、とんと、がしかし、……」
「が、しかし、何でござるな?」
「不思議な独楽とは存じ申した」
「その通りで、不思議な独楽でござる」
「廻るにつれて、さまざまの文字が……」
「さようさよう現われまする。独楽の面へ現われまする。で、貴殿、それらの文字を、どの程度にまで読まれましたかな?」
「淀という文字を目つけてござる」
「淀? ははア、それだけでござるか?」
「いやその他に荏原屋敷という文字も」
「ナニ荏原屋敷? 荏原屋敷? ……ふうん左様か、荏原屋敷――いや、これは忝《かたじけ》のうござった」
 云い云い浪人は懐中へ手を入れ、古びた帳面を取り出したが、さらに腰の方へ手を廻し、そこから矢立を引き抜いて、何やら帳面へ書き入れた。

   睨み合い

「さてお武家」と浪人は言った。
「その独楽を拙者にお譲り下されい」
「なりませぬな、お断りする」
 はじめて主税はハッキリと言った。
「貴殿のお話|承《うけたま》わらぬ以前《まえ》なら、お譲りしたかは知れませぬが、承わった現在においては、お譲りすることなりませぬ」
「ははあさては拙者の話によって……」
「さよう、興味を覚えてござる」
「興味ばかりではござるまい」
「さよう、価値をも知ってござる」
「独楽についての価値と興味とをな」
「さようさよう、その通りで」
「そうすると拙者の言動は、藪蛇になったというわけでござるかな」
「お気の毒さまながらその通りで」
「そこで貴殿にお訪《たず》ねしますが、この拙者という人間こそ、その独楽を手中に入れようとして、永年尋ねておりました者と、ご推量されたでござりましょうな」
「さよう、推量いたしてござる」
「よいご推量、その通りでござる。……そこであからさまにお話しいたすが、その独楽を手中に入れようとする者、拙者一人だけではないのでござるよ。……拙者には幾人か同志がござってな、それらの者が永の年月、その独楽を手中に入れようとして、あらゆる苦労をいたしておるのでござる」
「さようでござるか、それはそれは」
「以前は大阪にありましたもので、それがほんの最近になって、江戸へ入ったとある方面よりの情報。そこで我ら同志と共々、今回江戸へ参りましたので」
「さようでござるか、それはそれは」
「八方探しましたが目つかりませなんだ」
「…………」
「しかるにその独楽の価値も知らず、秘密も知らぬご貴殿が、大した苦労もなされずに、楽々と手中へ入れられたという」
「好運とでも申しましょうよ」
「さあ、好運が好運のままで、いつまでも続けばよろしいが」
「…………」
「貴殿」と浪人は威嚇《おどか》すように言った。
「拙者か、拙者の同志かが、必ずその独楽を貴殿の手より……」
「無礼な! 奪うと仰せられるか!」
「奪いますとも、命を殺《あや》めても!」
「ナニ、命を殺めても?」
「貴殿の命を殺めても」
「威嚇《おどかし》かな。怖いのう」
「アッハッハッ、そうでもござるまい。怖いのうと仰せられながら、一向怖くはなさそうなご様子。いや貴殿もしっかりもの[#「しっかりもの」に傍点]らしい。……ご藩士かな? ご直参かな? 拙者などとは事変わり、ご浪人などではなさそうじゃ。……衣装持物もお立派であるし。……いや、そのうち、我らにおいて、貴殿のご身分もご姓名も、探り知るでござりましょうよ。……ところでお尋ねしたい一儀がござる。……曲独楽使いの女太夫、浪速《なにわ》あやめ[#「あやめ」に傍点]と申す女と、貴殿ご懇意ではござりませぬかな?」
 言われて主税《ちから》はにやりとしたが、
「存じませぬな、とんと存ぜぬ」
「ついそこの曲独楽の定席へ、最近に現われた太夫なので」
「さような女、存じませぬな」
「嘘言わっしゃい!」と忍び音ではあったが、鋭い声で浪人は言った。
「貴殿、その独楽を、浪速あやめ[#「あやめ」に傍点]より、奪い取ったに相違ない!」
「黙
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