愛情からすれば……」
「黙れ!」と忍び音ではあったけれど、怒りと憎悪との鋭い声で、突然頼母は一喝したが、ヌッとばかりに立ち上った。
「何かと言えば主税様! そうか、それほど山岸主税が、其方《そち》には大切で恋しいか! ……よーしそれではその主税めを! ……が、まアよい、まアその中に、その主税様を忘れてしまって、頼母様、頼母様と可憐《いとし》らしく、わしを呼ぶようになるであろう。またそのように呼ばせてもみせる。……とはいえ今の其方の様子ではのう。……第一正気でいられては……、眠れ!」と云うと壁の一所を、不意に頼母は指で押した。
 と、その瞬間「あッ」という悲鳴が、お八重の口から迸り、忽然としてそのお八重の姿が、座敷牢から消えてなくなり、その代わりにお八重の坐って居た箇所へ、畳一畳ばかりの長方形の穴が、黒くわんぐりと口を開けた。陥穽《おとしあな》にお八重は落ちたのであった。頼母は壁際に佇んだまま、陥穽の口を見詰めていた。すると、その口から男の半身が、妖怪《もののけ》のように抽け出して来たが、
「お殿様、上首尾です」――こうその男は北叟《ほくそ》笑みながら云った。
「そうか。そこで、気絶でも
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