して彼女は今日の昼席から、定席へも出演《で》ないことに決心し、宿所《やど》をさえ出て行方を眩ましてしまった。それは彼女にとっては一生の大事業を、決行することに心を定め、その準備に取りかかったからであった。
 でも彼女は夕方になった時、職場が恋しくなって来た。そこでこっそり出かけて行った。ところが裏木戸の辺りまで行って見ると、太夫元の勘兵衛と山岸主税とが、自分のことについて話しているではないか。そこで、彼女は側《そば》の空店《あきだな》の中へ、素早く入って身を忍ばせ、二人の話を立聞きした。その中に勘兵衛が無礼の仕打ちを、主税に対してとろうとした。
(どうで勘兵衛は遅かれ早かれ、妾が手にかけて殺さなければ、虫の納まらない奴なのだから、いっそ此処で殺してしまおう)
 あやめ[#「あやめ」に傍点]は心をそう定めた。
 で、手練の独楽の紐を――麻と絹糸と女の髪の毛とで、蛇のように強い弾力性を持たせて、独特に作った独楽の紐を、雨戸の隙から繰り出して、勘兵衛の首へ巻き付けて、締めて他愛なく殺してしまった。
(これで妾の一生の大事業の、一つだけを片付けたというものさ)
 もっと苦しめて殺してやれなかっ
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