上へ淀という字を入れれば、淀屋の財宝はという意味になって、これはまアまア解るにしても、その後に出る文字が解らないのだ」
 頼母はまた手を延ばし独楽を捻った。烈しく廻る独楽の面へは、「代々」という二つの文字と「守護す」という三つの文字と「見る日は南うしろ北」という、九つの文字とが現われた。
「この意味はまったく解らないのう?」
 頼母の声は当惑していた。
「が、主税めの持っている独楽を奪い、それへ現われ出る文字と合わせたら、これらの文字の意味は解るものと思う。どっちみち淀屋の財宝についての、在場所を示したものに相違ないのだからのう」
「その主税めもうそろそろ、決心した頃かと存ぜられます」と飛田林覚兵衛《とんだばやしかくべえ》が追従笑いをしながら云った。
「誰もが命は惜しいもので。独楽は渡さぬ、配下にもならぬなどと、彼とてよもや申しますまい」
「そりゃアもう云うまでもないことで」とつづいて勘兵衛が合槌を打った。
「ましてや独楽を献上し、お殿様の配下になりさえすれば、お八重様という美しいお腰元と、夫婦になれるというのですからねえ。……が、そうなるとお殿様の方は?」と頼母の方へ厭な眼を向け、
「そうなりまするとお殿様の方は、お八重様をご断念なされるので?」
「またお喋舌《しゃべ》りか」と苦笑いをし、頼母はジロリ[#「ジロリ」は底本では「ヂロリ」]と勘兵衛を睨んだ。
「性懲りもなく又ベラベラと」
「これは、えへ、えッヘッヘッ」
 勘兵衛は亀のように首を縮めた。
 覆面をしていた五人の浪人も、今は頭巾を脱ぎすてて、遥か末座に居並んで、つつましく酒を飲んでいる。
(八重! くれるには惜しい女さ)
 ふと頼母はこう思った。
(が、独楽には換えられぬ。……それに主税というような、敵ながら立派な若い武士を、味方にすることが出来るのなら、女一人ぐらい何の惜しむものか)
 その主税が主謀者となり、鷲見与四郎《すみよしろう》といったような、血の気の多い正義派の武士たちが、どうやら一致団結して、以前から頼母の遣り口に対し――田安お館への施政に対し、反対しようとしていることを、頼母は薄々感付いていた。その主謀者の主税に恩を売り、八重を女房に持たせることによって、味方につけることが出来るのなら、こんな好都合なことはないと、そう頼母は思うのであった。
「誰か参って主税と八重の様子を、それとなく見て参れ」
 浪人たちの方へ頼母は云った。
 二人の浪人が立ち上り、襖《ふすま》をあけて部屋から出た。
「覚兵衛《かくべえ》も勘兵衛《かんべえ》も飲むがよい」
「は」
「頂戴」
「さあさあ飲め」
 賑かに盃が廻り出した。
 たちまち烈しい足音が、廊下の方から聞こえてきたが、出て行った二人の浪人の中、坂本というのが走り帰って来た。
「一大事! 一大事でござりまする……主税め縄を切り八重を助け……部屋を脱け出し庭の方へ! ……本庄殿は主税に斬られ! ……拙者も一太刀、左の肩を!」
 見ればなるほどその浪人の肩から、胸の方へ血が流れ出ていた。
「行け!」と頼母は吼えるように叫び、猛然として躍り上った。
「主税を捕らえろ! 八重を捕らえろ! ……手に余らば斬って捨ろ!」
 一同一斉に部屋を走り出た。
   独楽を奪われる
 八重を小脇に引っ抱え、血に濡れた刀をひっさげて、山岸主税《やまぎしちから》は庭へ出た。
 猿によって縛めの縄を切られ、勇躍してお八重へ走り寄り、その縛めの縄を解いた。すると、そこへ二人の武士が来た。やにわに一人を斬り伏せて、お八重を抱え廊下を走り、雨戸を蹴破り庭へ出た。
 そういう山岸主税であった。
 すぐに月光が二人を照らした。その月光の蒼白いなかに、二つの女の人影があったが、
「山岸様!」
「お八重様!」
 と、同時に叫んで走り寄って来た。
「あッ、そなたはあやめ[#「あやめ」に傍点]殿!」
「まあまああなたはお葉様か!」
 主税とお八重とは驚いて叫んだ。
「事情は後から……今は遁れて! ……こっちへこっちへ!」と叫びながら、あやめ[#「あやめ」に傍点]は門の方へ先頭に立って走った。
 後につづいて一同も走った。開けられてある門を出れば、田安家お屋敷の廓内であった。
 木立をくぐり建物を巡り、廓《くるわ》の外へ出ようものと、男女四人はひた[#「ひた」に傍点]走った。するとその時|背後《うしろ》から、追い迫って来る数人の足音が聞こえた。
(一人二人叩っ斬ってやろう)
 今まで苦しめられた鬱忿と、女たちを逃がしてやる手段としても、そうしなければなるまいと主税は咄嗟に決心した。
「拙者にかまわず三人には、早く土塀を乗り越えて、屋敷より外へお出でなされ。……拙者は彼奴《きゃつ》らを一人二人! ……」
 云いすてると主税は引っ返した。
「それでは妾《わたし》も! 
前へ 
次へ 
全45ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング