なに、お帰りなさる日をお待ちしたことか! ……いつまでお待ちしてもお帰りにならない。……そのうちだんだんわたしにしましても、お家にいることが苦痛になり……それでとうとう同じ年の、十二月の雪の日に、お姉様と同じように家出をし……」
「おお、まアそれではお前も家出を……」
「それからの憂艱難と申しましたら……世間知らずの身の上が祟って……誘拐《かどわか》されたり売られたり……そのあげくがこんな身分に……」
「お葉や、わたしも、そうだった。今のわたしの身分といったら、曲独楽使いの太夫なのだよ! ……荏原屋敷の娘、双生児《ふたご》のお嬢様と、自分から云ってはなんだけれど、可愛らしいのと幸福なのとで、人に羨まれたわたしたち二人が、揃いも揃って街の芸人に!」
 泉水で鯉が跳ねたのであろう、鞭で打ったような水音がした。
 高く抽《ぬきんで》て白蓮の花が、――夜だから花弁をふくよかに閉じて、宝珠かのように咲いていたが、そこから甘い惑わすような匂いが、双生児の姉妹《きょうだい》の悲しい思いを、慰めるように香って来ていた。
「お葉や」とやがてあやめ[#「あやめ」に傍点]は云った。
「わたし決心をしたのだよ。一生の大事を遂げようとねえ」
「お姉様」とお葉も云った。
「わたしも、わたしも、そうなのです! 一生の大事を遂げようと、決心したのでございます!」
「わたし、主馬之進《しゅめのしん》を殺す意《つもり》なのだよ! お父様を殺し、お母様を誑《たぶらか》し、荏原屋敷を乗っ取って、わたしたち二人を家出させた、極悪人の主馬之進をねえ」
「お姉様」とお葉は云って、ヒタとあやめ[#「あやめ」に傍点]の顔を見詰め、
「わたしは、主馬之進をそそのかして、そういう悪事を行なわせた、主馬之進の兄にあたる、田安家の奥家老、松浦頼母《まつうらたのも》を殺そうと、心掛けておるのでございます!」
「え※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」とあやめ[#「あやめ」に傍点]は仰天したように、
「お葉や、一体、それは一体! ……」
「おお、お姉様お姉様、あなたはご存知ないのです。……お姉様よりも六七ヶ月後に、家出をいたしたこのお葉ばかりが、知っていることなのでございます。……その六七ヶ月の間中、わたしは主馬之進という人間の素性を、懸命に探ったのでございます。その間幾度となく立派な武士《さむらい》が、微行して屋敷へ参りまして
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