た。
 三卿の筆頭であるところの、田安中納言家のお屋敷であった。客殿、本殿、脇本殿、離亭《はなれ》、厩舎、望楼《ものみ》台、そういう建物が厳しく、あるいは高くあるいは低く、木立の上に聳え木立の中に沈み、月光に光ったり陰影《かげ》に暗まされたりして、宏大な地域を占領している。
(奥方様付きのお腰元ゆえ、大奥にお在《い》でとは思うけれど、その大奥がどこにあるやら?)
 といっていつ迄も植込の中などに、身を隠していることも出来なかったので、
(建物の方へ忍んで行ってみよう)
 で、彼女は植込を出て、本殿らしい建物の方へ、物の陰を辿って歩いて行った。
 この構内の一画に、泉水や築山や石橋などで、形成《かたちづく》られている庭園があったが、その庭園の石橋の袂へ、忽然と一人の女が現われたのは、それから間もなくのことであった。女は? 浪速《なにわ》あやめ[#「あやめ」に傍点]であった。鼠小紋の小袖に小柳襦子の帯、お高祖頭巾をかむったあやめ[#「あやめ」に傍点]であった。
 それにしてもあやめ[#「あやめ」に傍点]はほんの先刻《さっき》まで、女猿廻しお葉として、老人主従と連れ立ってい、そうしてつい[#「つい」に傍点]今しがた同じ姿で、土塀を乗り越えてこの構内へ、潜入をしたはずだのに、今見れば町家の女房風の、浪速あやめ[#「あやめ」に傍点]としてここにいるとは?
 短かい短かい時間の間に、あるいは女猿廻しお葉となり、あるいは曲独楽使いのあやめ[#「あやめ」に傍点]となる! この女の本性は何なのであろう?
 正体不可解の浪速あやめ[#「あやめ」に傍点]は、石橋の袂[#「袂」は底本では「袖」]に佇みながら、頭巾と肩とをわけても鮮かに、月の光に曝しながら、正面に見えている建物の方を、まじろぎもせず眺めていたが、やがてその方へ歩き出した。
 と、築山の裾を巡った。
 とたんに彼女は「あッ」と叫んで、居縮んだように佇んだ。同時に彼女の正面からも、同じような「あッ」という声が聞こえた。見ればそこにも女がいて、あやめ[#「あやめ」に傍点]の顔を見詰めながら、居縮んだように立っている。それは女猿廻しのお葉であった。
 おお、では二人のこの女は、別々の女であるのだろうか! そうとしか思われない。
 それにしても何と二人の女は、その顔立から肉付から、年恰好から同一《おんなじ》なのであろう! そうして何と
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