にしたが、
「障《さ》わったからじゃ。……殺されたのじゃ」
「何に、お爺さん、何に障わったから?」
「木へ! そう、一本の木へ!」
 それから老人は歩き出した。三人はしばらく沈黙して歩いた。道がまた辻になっていた。
 それを右へ曲がった時、屋敷勤めの仲間らしい男が、仰向けに道に仆れているのが見えた。
 その男も死んでいた。
「お爺さん、またここにも!」
「障わったからじゃ。殺されたのじゃ」
「お爺さん、お爺さん、あなたのお力で……」
「あの木で殺された人間ばかりは、わしの力でもどうにもならない」
 悪魔の一隊は今も近くの、裏通りあたりを通っていると見え、そうして又も人を殺したと見え、
「叱!」「叱!」という混乱した声が、三人の耳へ聞こえてきた。

   美しき囚人

 同じこの夜のことであった。
 田安家の大奥の一室に、座敷牢が出来ていて、腰元風の若い女と、奥家老の松浦頼母とが、向かい合って坐っていた。
「八重《やえ》、其方《そち》は強情だのう」
 眼袋の出来ている尻下りの眼へ、野獣的の光を湛え、酷薄らしい薄い唇を、なめずるように舌で濡らしながら、頼母はネットリとお八重へ云った。
「将軍家《うえさま》より頂戴した器類を、館より次々に盗み出したことは、潔よく其方も白状したではないか。では何者に頼まれて、そのようなだいそれ[#「だいそれ」に傍点]た悪事をしたか、これもついで[#「ついで」に傍点]に云ってしまうがよい。……其方がどのようにシラを切ったところで、其方一人の考えから、そのような悪事を企てたものとは、誰一人として思うものはないのだからのう」
 云うことは田安家の奥家老として、もっとも千万のことであり、問い方も厳しくはあったけれど、しかし頼母の声や態度の中には、不純な夾雑物《まじりもの》が入っていて、ひどく厭らしさを感じさせるのであった。
「ご家老様」とお八重は云って、白百合のように垂れていた頸を、物憂そうに重々しく上げた。
「ご家老様へお尋ねいたしまするが、貴郎《あなた》様がもしもお館様より、これこれのことを致して参れと、ご命令をお受け遊ばされて、ご使命を執り行ない居られます途中で、相手の方に見現わされました際、貴郎様にはお館様のお名を、口にお出しなさるでございましょうか?」
「なにを馬鹿な、そのようなこと、わしは云わぬの、決して云わぬ」
「八重も申しはいたしま
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