た男の怨恨《うらみ》が、十年もの間籠っているところの、ここはあけず[#「あけず」に傍点]の館であった。その館に持主の知れない薄赤い燈火の光が射して、あっちへ動きこっちへ移って、二人の男女を迷わせる! さては殺された先代の亡魂が、怨恨の執念から行なう業では? ……
こう思えば思われる。
これが二人を怯かしたのである。
「主税様|階下《した》へ降りましょう。……もう妾《わたし》はこんな所には……こんな恐ろしい所には! ……それよりいっそ[#「いっそ」に傍点]階下へ降りて、頼母たちと斬り合って、敵《かな》わぬまでも一太刀怨み、その上で死にましょう!」
あやめ[#「あやめ」に傍点]は前歯を鳴らしながら云った。
「うむ」と主税も呻くように云った。
「亡魂などにたぶらかされ、うろついて生恥さらすより、斬り死にしましょう、斬り死にしましょう」
階段の方へ足を向けた。
すると、又も朦朧と、例の薄赤い燈火の光が、廊下の方から射して釆た。
「あッ」
「又も、執念深い!」
今は主税は恐怖よりも、烈しい怒りに駆り立てられ、猛然と廊下へ突き進んだ。
その後からあやめ[#「あやめ」に傍点]も続いた。
しかし、廊下には燈火はなく、堅く閉ざされてあるはずの雨戸の一枚が、細目に開けられてあるばかりであった。
二人はその隙から戸外《そと》を見た。
三階造りの頂上よりも高く、特殊に建てられてある閉扉の館の、高い高い二階から眺められる夜景は、随分美しいものであった。主屋をはじめ諸々の建物や、おおよその庭木は眼の下にあった。土塀なども勿論眼の下にあった。月は澄みきった空に漂い、その光は物象《もののかたち》を清く蒼白く、神々しい姿に照らしていた。
庭上の人影
間もなく死ぬ運命の二人ではあったが、この美しい夜の景色には、うっとりとせざるを得なかった。
ふいにあやめ[#「あやめ」に傍点]が驚喜の声をあげた。
「まア梯子が! ここに梯子が!」
いかさま廊下の欄干ごしに、一筋の梯子が懸かっていて、それが地にまで達していた。
それはあたかも二人の者に対して、この梯子をつたわって逃げ出すがよいと、そう教えてでもいるようであった。
「いかにも梯子が! ……天の与え! ……それにしても何者がこのようなことを!」
主税も驚喜の声で叫んだ。
「不思議といえば不思議千万! ……いやいや不思議
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