したのに、主税もあやめ[#「あやめ」に傍点]も消えてなくなったように、姿をくらましてしまいましたとは? ……不思議を通りこして気味のわるいことで」
「沼へ落ちたのではございますまいか?」
 覚兵衛が横から口を出した。
「沼へ落ちたのなら水音がして、あっし[#「あっし」に傍点]たちにも聞こえるはずで」と勘兵衛が側《そば》から打ち消した。
「ところが水音なんか聞こえませんでしたよ。……天に昇ったか地にくぐったか、面妖な話ったらありゃアしない」
「主馬!」と頼母は決心したように云った。
「主税とあやめ[#「あやめ」に傍点]との隠れ場所は、閉扉の館以外にはないと思うよ。彼奴《きゃつ》らなんとかしてこの戸をひらき、屋内《なか》へ入ったに相違ない。戸を破り我らも屋内へ入るとしよう! ……それでなくともこの閉扉の館へ、わしは入ろうと思っていたのだ。淀屋の財宝を手に入れようとして、長の年月この荏原屋敷を、隅から隅まで探したが、この館ばかりは探さなかった。其方《そち》や松女が厭がるからじゃ! が、今夜はどうあろうと、屋内へ入って探さなければならぬ」
「兄上! しかし、そればかりは……」と主馬之進は夜眼にも知られるほどに、顔色を変え胴顫いをし、
「ご勘弁を、平に、ご勘弁を!」
「覚兵衛、勘兵衛!」と頼母は叫んだ。
「この館の戸を破れ!」
「いけねえ、殿様ア――ッ」と勘兵衛は喚いた。
「そいつア不可《いけ》ねえ! あっしゃア[#「あっしゃア」に傍点]恐い! ……先代の怨みの籠っている館だ! ……あっしも[#「あっしも」に傍点]手伝ってやったん[#「やったん」に傍点]ですからねえ!」
「臆病者揃いめ、汝《おのれ》らには頼まぬ! ……覚兵衛、館の戸を破れ!」
 飛田林覚兵衛はその声に応じ、閉扉の館の戸へ躍りかかった。
 が、戸は容易に開かなかった。
 先刻《さっき》は内側から自然と開いて、主税とあやめ[#「あやめ」に傍点]とを飲み込んだ戸が、今は容易に開かないのである。
「方々お手伝い下されい」
 覚兵衛はそう声をかけた。
 覆面をしている頼母の家来たちは、すぐに覚兵衛に手を貸して、館の戸を破りだした。
 この物音を耳にした時、屋内の闇に包まれていた主税とあやめ[#「あやめ」に傍点]とはハッとなった。
「主税様」とあやめ[#「あやめ」に傍点]は云った。
「頼母や主馬之進たちが戸を破って……」
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