め切り開けたことのない、あの建物のあのお部屋なのだよ。……堪忍しておくれ、妾には行けない!」

   恋と敵のあいだ

「おお、まアそれではあのお部屋は、十年間|閉扉《あけず》の間か! ……さすが悪漢毒婦にも、罪業《つみ》を恐れる善根が、心の片隅に残っていたそうな。……ではあのお部屋にはあのお方の、いまだに浮かばれない修羅の妄執が、黴と湿気と闇とに包まれ、残っておることでございましょうよ。なにより幸い、なにより幸い、さあそのお部屋へお入りなされて、懺悔なさりませ、懺悔なさりませ! そうしてそれから妾《わたし》と共々、復讐の手段を講じましょう。……」
「復讐? お葉や、復讐とは?」
「わたしにとりましては実のお父様、お母様にとりましては最初の良人《おっと》の、先代の荏原屋敷の主人を殺した、当代の主人の主馬之進《しゅめのしん》を!」
「ヒエーッ、それでは主馬之進を!」
「お父様を殺した主馬之進を殺し、お父様の怨みを晴らすのさ。……さあお母様参りましょう!」
 お葉は、松女《まつじょ》の腕を握り、亭から外へ引き出した。
 この頃亭から少し離れた、閉扉の館の側《そば》の木立の陰に、主税《ちから》とあやめ[#「あやめ」に傍点]とが身体《からだ》をよせながら、地に腹這い呼吸《いき》を呑んでいた。
 主税が片手に握っているものは、血のしたたる抜身であった。
 それにしてもどうして主税やあやめ[#「あやめ」に傍点]や、お葉までが荏原屋敷へ、この夜忍び込んで来たのであろう?
 自分たちの持っていた淀屋の独楽は何者かに奪われてしまったけれど、藤八猿から得た独楽によって、幾行かの隠語《かくしことば》を知ることが出来た。
 そこで主税はその隠語を、以前《まえ》から知っている隠語と合わせて、何かの意味を探ろうとした。隠語はこのように綴られた。……「淀屋の財宝は代々荏原屋敷にありて飛加藤の亜流[#「亜流」は底本では「悪流」]守護す。見る日は南」と。「見る日は南」という意味は解《わか》らなかったが、その他の意味はよく解った。飛加藤の亜流[#「亜流」は底本では「悪流」]という老人のことも、お葉のくわしい説明によって解った。そうしてどっちみち[#「どっちみち」に傍点]淀屋の財宝が、荏原屋敷のどこかにあるということが、ハッキリ主税に感じられた。そこで主税は荏原屋敷へ忍び込んで、財宝の在場所を探りたいと
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