ちゃんこ」に傍点]を着た藤八猿が、奥の部屋へ毬のように飛び込んで来たので主税とあやめ[#「あやめ」に傍点]とははっとした。
「まあ藤八だよ!」と叫んだのは、襟を掻き合わせたあやめ[#「あやめ」に傍点]であり、
「独楽を持っている、淀屋の独楽を!」と、つづいて叫んだのは主税であった。
その前で藤八猿は独楽を持ったまま、綺麗に飜斗《とんぼ》を切って見せた。
「捕らえろ! 捕らえて淀屋の独楽を!」
二人が藤八猿を追っかけると、猿は驚いて門口の方へ逃げた。それを追って門口まで走った……
と、土間の宵闇の中に、女猿廻しが静かに立っていた。
「ま、やっぱりあやめ[#「あやめ」に傍点]お姉様!」
「お前は妹! まアお葉かえ!」
この頃勘兵衛は野の道を、荏原屋敷の方へ走っていた。懐中《ふところ》をしっかり抑えている。主税とあやめ[#「あやめ」に傍点]とが猿を追って、土間の方へ走って行った隙を狙い、奪い取った第一の淀屋の独楽が、懐中の中にあるのであった。
(こいつを頼母様へ献上してみろ、俺、どんなに褒められるかしれねえ。……それにしてもあやめ[#「あやめ」に傍点]と主税とが、あんな所に住んでいようとは。……頼母様にお勧めして、今夜にも捕らえて処刑してやらなけりゃア。……)
飛加藤の亜流という老人も、それにたかって[#「たかって」に傍点]いた人々も、とう[#「とう」に傍点]に散って誰もいない野の道を、小鬼のように走りながら、そんなことを思っているのであった。
空には星がちらばってい、荏原屋敷を囲んでいる森が、遥かの行手に黒く見えていた。
やがてこの夜も更けて真夜中となった。
と、荏原屋敷の一所に、ポッツリ蝋燭の燈が点った。
森と、土塀と、植込と、三重の囲いにかこわれて、大旗本の下屋敷かのように、荏原屋敷の建物が立っていた。歴史と伝説《いいつたえ》と罪悪《つみ》と栄誉《ほまれ》とで、長年蔽われていたこの屋敷には、主人夫婦や寄宿人《かかりうど》や、使僕《めしつかい》や小作人の家族たちが、三十人近くも住んでいるのであった。でも今は宏大なその屋敷も、星と月との光の下に、静かな眠りに入っていた。
その屋敷の一所に、蝋燭の燈が点っているのであった。
四方を木々に囲まれながら、一宇の亭《ちん》が立っていて、陶器《すえもの》で造った円形の卓が、その中央に置かれてあり、その上に
前へ
次へ
全90ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング