のように見えた。
 頼母の屋敷で奪い取った、二つ目[#「二つ目」は底本では「二つの目」]の淀屋の独楽を、玩具《おもちゃ》のように両手に持った、藤八猿を背中に背負い、猿廻しのお葉がこの百姓家の方へ、野道を伝わって歩いて来たのも、ちょうどこの頃のことであった。
 離家《はなれや》の門口まで来た。
(この家じゃアないかしら?)と思案しながら佇んだ。
 藤八猿の着ている赤いちゃんちゃんこ[#「ちゃんちゃんこ」に傍点]と、お葉の冠っている白手拭とが、もう蚊柱の立ち初めている門の、宵闇の中で際立って見えた。
(案内を乞うて見ようかしら?)
 思い惑いながら佇んでいる。
 田安屋敷の乱闘のおり、幸いお葉も遁れることが出来た。でも姉のあやめ[#「あやめ」に傍点]とも、腰元のお八重とも、姉の恋人だという山岸主税とも、一緒になれずに一人ぼっちとなった。
(姉さんが恋しい、姉さんと逢いたい。主税様の行方が解ったら、姉さんの行方も解るかも知れない)
 ふとお葉はこう思って、今日の昼こっそり田安家のお長屋、主税の屋敷の方へ行ってみた。すると幸いにも主税の親友の、鷲見《すみ》与四郎と逢うことが出来た。
「馬込のこうこういう百姓家の離家《はなれ》に、あやめ[#「あやめ」に傍点]という女と住んで居るよ」と、そう与四郎は教えてくれた。
 主税にとって鷲見与四郎は、親友でもあり同志でもあった。――頼母の勢力を覆えそうとする、その運動の同志だったので、与四郎へだけは自分の住居を、主税はそっと明かしていたのであった。
 聞かされたお葉は躍り上って、すぐに馬込の方へ足を向け、こうして今ここへやって来たのであった。
(この家らしい)とお葉は思った。
(考えていたって仕方がない。案内を乞おう、声をかけてみよう。……いいえそれより藤八を舞わして、座敷の中へ入れてみよう)
 お葉は肩から藤八猿を下ろした。
 藤八猿は二つ目の淀屋の独楽を、大切そうに手に持ったまま、地面へヒラリと飛び下りた。
 藤八猿はこの独楽を手に入れて以来、玩具のようにひどく気に入っていると見え、容易に手放そうとはしないのである。
「今日の最後の芸当だよ、器用に飛び込んで行って舞ってごらん」
 人間にでも云い聞かせるように云って、お葉は土間へ入って行った。

   蝋燭の燈の下で

「お猿廻しましょう」と声がかかり、赤いちゃんちゃんこ[#「ちゃん
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