れ」
 浪人たちの方へ頼母は云った。
 二人の浪人が立ち上り、襖《ふすま》をあけて部屋から出た。
「覚兵衛《かくべえ》も勘兵衛《かんべえ》も飲むがよい」
「は」
「頂戴」
「さあさあ飲め」
 賑かに盃が廻り出した。
 たちまち烈しい足音が、廊下の方から聞こえてきたが、出て行った二人の浪人の中、坂本というのが走り帰って来た。
「一大事! 一大事でござりまする……主税め縄を切り八重を助け……部屋を脱け出し庭の方へ! ……本庄殿は主税に斬られ! ……拙者も一太刀、左の肩を!」
 見ればなるほどその浪人の肩から、胸の方へ血が流れ出ていた。
「行け!」と頼母は吼えるように叫び、猛然として躍り上った。
「主税を捕らえろ! 八重を捕らえろ! ……手に余らば斬って捨ろ!」
 一同一斉に部屋を走り出た。

   独楽を奪われる

 八重を小脇に引っ抱え、血に濡れた刀をひっさげて、山岸主税《やまぎしちから》は庭へ出た。
 猿によって縛めの縄を切られ、勇躍してお八重へ走り寄り、その縛めの縄を解いた。すると、そこへ二人の武士が来た。やにわに一人を斬り伏せて、お八重を抱え廊下を走り、雨戸を蹴破り庭へ出た。
 そういう山岸主税であった。
 すぐに月光が二人を照らした。その月光の蒼白いなかに、二つの女の人影があったが、
「山岸様!」
「お八重様!」
 と、同時に叫んで走り寄って来た。
「あッ、そなたはあやめ[#「あやめ」に傍点]殿!」
「まあまああなたはお葉様か!」
 主税とお八重とは驚いて叫んだ。
「事情は後から……今は遁れて! ……こっちへこっちへ!」と叫びながら、あやめ[#「あやめ」に傍点]は門の方へ先頭に立って走った。
 後につづいて一同も走った。開けられてある門を出れば、田安家お屋敷の廓内であった。
 木立をくぐり建物を巡り、廓《くるわ》の外へ出ようものと、男女四人はひた[#「ひた」に傍点]走った。するとその時|背後《うしろ》から、追い迫って来る数人の足音が聞こえた。
(一人二人叩っ斬ってやろう)
 今まで苦しめられた鬱忿と、女たちを逃がしてやる手段としても、そうしなければなるまいと主税は咄嗟に決心した。
「拙者にかまわず三人には、早く土塀を乗り越えて、屋敷より外へお出でなされ。……拙者は彼奴《きゃつ》らを一人二人! ……」
 云いすてると主税は引っ返した。
「それでは妾《わたし》も!
前へ 次へ
全90ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング