っこ》の生活だなア」
 私は氈を撫で廻した。
「この毛並の軟らかさ、朝鮮産の虎の皮、決して安くはなさそうだ。児玉町に住んでいた頃には、空想する事さえ許されなかった品だ。そいつにふかふかと包まれている。さて私よ。幸福かね?」
 そこで私は私へ答えた。
「悲しいことには幸福ではないよ」
 私は正面の壁を見た。勿論小品ではあったけれど、模写《コピイ》ではないマチスの本物が、似合の額縁に嵌められて、ちょうどいい位置に掛けられてあった。
「彼女が買って来た絵だろうか? それとも色眼の報酬として、某紳商《なにがししんしょう》の美術館から、かっぱらって[#「かっぱらって」に傍点]来た絵だろうか? 本物のマチス、銀灰色の縁、狂いのない掲げ振り、よく調子が取れている。将しく彼女には審美眼がある。だが以前《むかし》の彼女には、すくなくともマチスに憧憬《あこが》れるような、そんな繊細な審美眼は、なかったように思われる。長足の進歩をしたものさなあ。もっとも驚くにはあたらない。彼女は伯爵夫人だからな」
 私はまたもや私へ云った。
「よろしい彼女は伯爵夫人だ。それはどうしても認めなければならない。ところでここに困
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