が正面にあり、裸体《はだか》の柱が灰色に見えた。
と、誰か私の横へ、こっそり腰かける気勢《けはい》がした。プンと葉巻の匂いがした。私はぼんやりと考えていた。
「少しお痩せになりましたね」
こう云う声が聞こえてきた。私はそっちへ顔を向けた。一人の紳士が微笑していた。毛皮の外套を纏っていた。それは佐伯準一郎氏であった。
「これはしばらく」と私は云った。
私は動揺されなかった。ただまじまじと相手を見た。佐伯氏は変わってはいなかった。脂肪質の赧ら顔は、昔ながらに健康《たっしゃ》そうであった。永い未決の生活などを、経て来た人とは見えなかった。
「ただ今奥様とお逢いして来ました」
相変わらず慇懃の態度で云った。
「今はちょうどその帰りで」
「ああ左様でございますか」
「貴郎《あなた》この頃お留守だそうで」
「ええ」と私は微笑した。
急に佐伯氏は黙り込んだ。林の方をじっ[#「じっ」に傍点]と見た。そっちから人影が現われた。それは逞《たくま》しい外人であった。
不意に佐伯氏は立ち上った。それからひどく早口に云った。
21[#「21」は縦中横]
「私は大変急いで居ります。くだくだしい事は申しますまい。いずれ奥様がお話ししましょう。……さて例の銀三十枚、あれを頂戴に上ったのでした。しかし奥様にお目にかかり、私の考えは変わりました。……進呈することに致しました。いえ貴郎にではありません。貴郎の奥様へ差し上げたので。……奥様は大変お美しい。そうして大変大胆です。何と申したらよろしいか。とにかく私は退治られました。色々の婦人にも接しましたが、奥様のようなご婦人には、お目にかかったことはございません。……で、私は申し上げます。ちっとも[#「ちっとも」に傍点]ご心配はいりませんとね。銀三十枚と私とは、今日限り縁が切れました。あれは貴郎方お二人の物です。もしもこれ迄あの金のために、ご苦労なされたと致しましても、今後はご無用に願います。……全く立派なご婦人ですなア。……今度こそ私は間違いなく、日本の国を立ち去ります。ご機嫌よろしゅう。ご機嫌よろしゅう」
ロハ台を離れて大股に、町の方へ歩いて行った。
と、二人の外人が、その後を追うように歩いて行った。
噴水の向こうに隠れてしまった。
私はロハ台から離れなかった。だが私は呟いた。
「ひとつ彼女を祝福しに行こう」
それでもロハ台か
前へ
次へ
全41ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング