借りなければならなかった。
まずまず平和と云ってよかった。
一人ぼっち[#「ぼっち」に傍点]の生活は、こうして静かに流れて行って、体も徐々に恢復した。神経も次第に強くなった。事件以前の私よりもかえって健康になれそうであった。
規則正しい生活をした。早く起きて早く寝た。慣れるとそれにさえ興味が持てた。貧弱な下宿の食膳をさえ、三度々々食べることにした。慣れるとそれにさえ美味を覚えた。
こっそり町を散歩した。精々|珈琲店《カフェ》へ寄るぐらいであった。酒も煙草《たばこ》も廃《や》めてしまった。で、珈琲店では曹達《ソウダ》水を飲んだ。
「文字通りの清教徒さ」
私は聖書を読むようになった。昔とは全然《まるで》異って見えた。こんな言葉が身に滲みた。
「貧しき者は福《さいわい》なり」「哀《かなし》む者は福なり」「柔和なる者は福なり」「矜恤《あわれみ》する者は福なり」「平和《やわらぎ》を求むる者は福なり」
「不思議だなあ」と私は云った。
「事件以前の私だったら、卑屈な去勢的言葉として、一笑に付してしまっただろうに、今の私にはそうは取れない」
「不思議ではない」と私は云った。
「苦しみ悩んだ基督の思想は、苦しんだ者でなければ解《わか》らない」
そうして尚も私は云った。
「これは平凡な解釈だ。だが平凡でもいいではないか」
私は一種の法悦を感じた。
「容易に私は動揺されまい」
こんなようにさえ思うようになった。
そうしてそれは本当であった。
ある朝私は自分の部屋で、紅茶を淹《い》れて飲んでいた。
私の前に新聞があった。一つの記事が眼を引いた。
「佐伯準一郎放免さる。理由は証拠不充分」
私は動揺されなかった。しかし、
「さぞ彼女は驚いたろうなあ」と、彼女を愍《あわ》れむ心持は動いた。
で私は呟いた。
「彼女よ。うまく切り抜けてくれ」
決して皮肉でも何でもなかった。私は心から願ったのであった。彼女を憎む感情などは、いつの間にか私からなくなっていた。それとは反対に愍れみの情が、私の心に芽生えていた。
翌日《あくるひ》私は散歩した。二月上旬の曇った日で、町には人出が少なかった。公園の方へ歩いて行った。公園にも人はいなかった。花壇にも花は咲いていなかった。ただ冬薔薇が二三輪、寒そうに花弁を顫わせていた。
私はロハ台に腰を下ろした。佐伯氏と逢ったロハ台であった。音楽堂
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