現代の基督は、どんな姿で現われるだろう?
私は漸時《だんだん》皮肉になった。私は漸時忍従的になった。だがいつも脅かされていた。
「きゃつは詐欺師だ、殺人犯ではない。五年か十年、刑期さえ終えたら、出獄するに相違ない。取りに来るぞ、銀三十枚! どうしたらいいのだ。返すことは出来ない! 彼女はその間に使ってしまうだろう」
だが人間というものは、そのドン底まで追い詰められると、反動的勇気に駈られるものであった。ある日私は自分へ云った。
「基督を求めるには及ばない。他力本願は卑怯者の手段だ。自分のことは自分でするがいい」
で私はすることにした。
そこで私は「左様なら」と云った。
直接彼女へ云ったのではなかった。泥沼の生活へ云ったのであった。
そうして「左様なら」を実行した。大した勇気もいらなかった。ほんの簡単に実行された。
何にも持たずに家出をし、お城近くの安下宿へ、私は下宿をしたのであった。
お城の堀と石垣と、松との見える小さな部屋へ、私は体を落ちつけた。
霧深い厳冬のことであった。
「彼女が驚こうが驚くまいが、私の知ったことではない。彼女が探そうが探すまいが。私の知ったことではない。とにかく私は彼女を捨た。私にとっては一飛躍だ」
不思議と私の心の中は、ある平和が返って来た。ひどく苦しんだ人間だけが、感ずる事の出来る平和であった。
「ひょっと[#「ひょっと」に傍点]すると創作が出来るかもしれない」
で私はペンを執って見た。楽にスラスラと書くことが出来た。思想と感情とが統一された。バラバラなものが纏まった。空想さえも湧いて来た。
「少しの努力をしさえしたら、昔の私になれるかもしれない。……書けさえすれば私はいいのだ」
生活の上の不安はあった。しかし原稿が売れさえしたら、下宿代ぐらいは払えそうであった。
「贅沢な生活には懲りている。だからそれへの欲望はない。これは大変有難いことだ一つ一つ欲望を抑えて行って、うんと単純の生活をしよう」
20[#「20」は縦中横]
性慾の方も抑えることが出来た。
私は長い間彼女のために「性のお預け」を食わされていた。いつの間にかそれが慣い性になった。それにもう一つ率直に云えば、私は異性に懲々《こりごり》していた。
「彼女のことを忘れなければならない!」
これも困難ではなさそうであった。しかし努力と月日との、助けを
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