ぶつかった」に傍点]人かのような、絶体絶命[#「絶体絶命」は底本では「絶対絶命」]の恐怖の情がまざまざと現われていたのであった。


 当時、すなわち永禄《えいろく》の頃には、備前の国は三人の大名が各自《おのおの》三方に割居して、互いに勢いを揮っていた。谷津の城には浮田|直家《なおいえ》、龍の口城には最所治部《さいしょじぶ》、船山城には須々木豊前《すずきぶぜん》。――そうして勢力は互格であった。
 最所治部の龍の口城へ、ある日一人の若侍が、父だと云う老人を連れて、さも周章《あわただ》しく駈け込んで来た。手足から鮮血《なまち》を流している。
「私事は浮田の家臣岡郷介と申す者、寃罪《むじつのつみ》によりまして、主人のためかくの如きの折檻、あまりと云えば非義非道、ことには重代の主従ではなし、絶縁致すはこの時と存じ、一人の父を引き連れまして、谷津の城を抜け出し、ここまで参りましてござります。承わりますれば最所殿には士を愛する名君との事、願わくば随身仕り、犬馬の労を尽くしたく、そのため参上致しましてござるが、貴意いかがにござりましょうや?」
 これが若侍の口上であった。
「浮田の家来とあるから
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