して、兄事させた所の郷介法師とは、いかなる身分の大盗であろうか?
 歴史にもなく伝説にもないこの不思議の大盗賊について、書き記してある書物と云えば、「緑林黒白《りょくりんこくびゃく》」一冊しかない。
 で作者《わたし》はその書に憑據し、この大盗の生い立ちを左に一通り述べることにしよう。


「兄弟もなければ親もない。……俺は本当に孤児《みなしご》だ」
 ――岡郷介《おかごうすけ》はこう思って来ると、いつも心が寂しくなった。
「昨日《きのう》も戦争、今日も戦争、そうして明日も又戦争。……足利の武威衰えて以来、世はいわゆる戦国となり、仁義道徳は地に堕ちてしまった。親が子を殺し子が親を害する。恐ろしいは世の中の態《さま》だ。……親などはない方が気楽かもしれない」
 ――こう思うようなこともあった。
「しかし、それでは寂しいな。やはり親はあった方がいい。ああ両親《ふたおや》に逢いたいものだ」
 親に対する思慕の情は捨ようとしても捨られないのであった。
「だが、それにしても俺の親は、どうして俺を振り捨て行方知れずになったのであろう? 俺は両親の顔をさえ知らぬ」
 彼の心はこれを思うといよいよ寂しくなるのであった。

「最所治部めが叛《そむ》いたそうな。毛利|元就《もとなり》へ款《かん》を通じ俺に鋒先を向けるそうな」
 備前国矢津の城主浮田|直家《なおいえ》はこう云って癇癪筋を額に浮かべた。
「不都合千万でございますな」
 お気に入りの近習岡郷介はこれも無念そうに相槌を打ったが、
「余人はともかく治部殿は殿のご縁者ではございませぬか」
「だから一層残念だ」
「これは許しては置けませぬな」
「許しては置けない! 許しては置けない!」
 直家の声は物狂わしい。
「謀叛の原因は何でございましょう?」
 郷介はじっと眼を据えた。
「ああ原因か。原因は女だ!」
「ははあ女子でございますか」
「俺の娘月姫だ」
「月姫様?」と鸚鵡《おうむ》返したが、郷介の声は顫えていた。
「言語道断でございますな。……たしか治部殿は五十歳、月姫様はお十八、どうする意《つもり》でございましょう?」
「治部は昨年妻を失《なく》した」
「ははあそれでは後妾《のちぞえ》などに?」
「うん」と直家は奥歯を噛み締め、
「主筋にあたるこの俺へ姫をくれえと申して参った」
「すぐにお断りなさいましたか」
「するとたちまち今
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