正次は耳を澄ました。大勢の人間が裏門を押し開け、庭内へ入って来たようであった。
不意に呼びかける声が聞こえてきた。
「お約束の日限と刻限とがただ今到来いたしてござる。恩地雉四郎お迎えに参った。いざ姫君お越し下され。お厭とあらば判官殿手写の『養由基《ようゆうき》』をお譲り下されよ!」
濁みた兇暴の声であった。
すると書院の次の間から、――すなわち一ノ間から老人の声が、嘲笑うようにそれに答えた。
「雉四郎殿か、お迎えご苦労! が、姫君には申して居られる、迎えにも応ぜず『養由基』もやらぬと。……雉四郎殿お立帰りなされ」
「黙れ!」と、雉四郎の怒声が聞こえた。
「それでは約束に背くというものだ」
「元々貴殿より姫君に対して、強請された難題でござる。背いたとて何の不義になろう」
「よろしい背け、がしかしだ、一旦思い込んだこの雉四郎、姫も奪うぞ『養由基』も取る! それだけの覚悟、ついて居ろうな!」
すると老人の声が書院の方へ――正次の方へ呼びかけた。
「あいや客人、日置正次殿、我等必死のお願いでござる、貴殿の弓勢《ゆんぜい》お示し下され! 寄せて参ったは、不頼の輩《ともがら》、あばら組と申す奴原《やつばら》、討ち取って仔細無き奴原でござる!」
「応」と云うと日置正次は、調度掛にかけてある陽の弓、七尺五寸、叢重籐《むらしげどう》、その真中《まんなか》をムズと握り、白磨箆鳴鏑《しろみがきべらなりかぶら》の箭《や》を掴むと、襖をあけて縁へ出た。
「寄せて来られた方々に申す。拙者は旅の武士でござって、今宵この館に宿を求めた者、従って貴殿方に恩怨はござらぬ。又この館の人々とも、たいして恩も誼《よしみ》もござらぬ。がしかしながら見受けましたところ、貴殿方は大勢、しかのみならず、武器をたずさえて乱入された様子、しかるに館には婦人と老人、たった二人しかまかりあらぬ。しかも二人に頼まれてござる。味方するよう頼まれてござる。拙者も武士頼まれた以上、不甲斐なく後へは引けませぬ。……そこで箭一本参らせる。引かれればよし引かれぬとなら、次々に箭を参らせる」
云い終わると箭筈《やはず》を弦に宛て、グーッとばかり引き絞った。狙いは衆人の先頭に立ち、槍を突き立て足を踏みひらき、鹿角打った冑をいただいている、その一党の頭目らしい――すなわち恩地雉四郎の、その冑の前立であった。弦ヲ控《ヒ》クニ二法アリ、
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