八万騎を鎮撫しなければならなかった。彼は官軍に内通している獅子《しし》身中の虫と見られ、ある夜のごときは数十人の兵にその身辺を取りまかれ鉄砲の筒口を一斉に向けられ硝煙に包まれたことさえあった。
「慶喜の生命《いのち》は助けなければならない。江戸を兵燹《へいせん》から守らなければならない。好い策はないか。よい策はないか」と、寧日のない騒忙の裏にこの事ばかりを考えた。
「西郷に会おう。西郷は知己だ。会って赤誠《せきせい》を披瀝しよう」これが終局の決心であった。こう決心はしたものの心にはかなりの不安があった。多智大胆権謀無双、隼《はやぶさ》のような彼ではあったが、西郷との会見は重荷であった。
当日になると式服を纒《まと》い馬上に鞭を携えて薩州の邸へ歩ませた。芝高輪《しばたかなわ》まで向かう間に彼の眼に触れる事々物々は焦心の種ならぬはない。兵を近在に避けようとして荷車を曳く商人《あきゅうど》の群れ。刀の柄《つか》に手を掛けて四方に眼を配りながらノシノシ歩く家人《けにん》の群れ。店を開けている家は稀《まれ》である。陽はカンカンと照ってはいるが街々の姿は暗く見える。
突然、横町から十人余りの幕
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