に邂逅《いきあ》った。明治元年三月十三日のしかも日中のことである。この頃大江戸は釜で煮られる熱湯のように湧き立っていた。十五代続いた徳川家にようやく没落の悲運が来て、将軍|慶喜《よしのぶ》は寛永寺に屏居《へいきょ》し恭順の意を示している一方、幕臣達は隊を組んで安房、下総、会津等へ日に夜に脱走を企てる。征討大総督|有栖川宮《ありすがわのみや》は西郷隆盛を参謀として東山北陸東海の、三道に分れて押し寄せて来る。二百数十年泰平を誇ったさすが繁華な大江戸も兵燹《へいせん》にかかって焼土となるのもここしばらくの間となった。贅沢《ぜいたく》出来るのも今のうちだ、それ酒を飲め女を買えと、町人達まで自暴自棄となって悪事|三昧《ざんまい》に耽けるようになった。切り取り強盗《おしこみ》、闇討ち放火《つけび》、至る所に行なわれ巷の辻々には切り仆された武士の屍《かばね》が横たわっていたりまた武家屋敷の窓や塀には斬奸状が張られてあったり、二百万人を包容していた幕府所在地の大きな都には平和の影さえも見られなくなった。麟太郎は軍事取り扱かいという重大の役目を持っていたが強硬なる非戦論の主謀者として逸《はや》り立つ旗本
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