翻訳係。軍艦練習所教授方頭取。それから咸臨丸の船長として米国へ航海した事もあった。作事奉行格並に軍艦奉行。もうこの頃は麟太郎は四十を幾年《いくつ》か越していた。そうして彼の名声は既に日本的になっていた。ある時は彼は塾を構えて有為の人材を養成した。坂本竜馬、陸奥宗光、いずれも彼の塾生であった。
しかし喬木風強し矣《い》! 幕府の執政に疑がわれて「寄合い」の身に左遷された。
ちょうどこの時分の事であった。欝勃《うつぼつ》たる覇気と忿懣とを胸に貯《たくわ》えた麟太郎は上野の車坂を本所の方へ騎馬でいらいらと走らせていた。燈火の点《つ》き初めた夕暮れ時で往来には人々が出盛っていた。人声、足音、物売りの叫び。やかましいほど賑やかであった。その時、騒然たる物の音を縫って鼓の音が聞こえて来た。麟太郎は思わず馬を止めて音のする方へ眼をやった。三十年前に一度見た姥の面のような顔を持った上品な老女が彼を見ながら鼓を打っているではないか。彼の心は静かに和《なご》み海のように胸が開けて来た。
翌日彼は召し出されて軍艦奉行を命ぜられたのである。
二
その後麟太郎はもう一度だけ鼓の持ち主
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