来たのである。
「それにしても老女は何者であろう。そしていったい何んのためにいつまでも鼓を打っているのであろう」
 彼は不思議に思いながら厨《くりや》から外へ出て行った。そして老女へ近付いた。彼の眼に真っ先に映ったのは、名匠の刻んだ姥《うば》の面のような神々《こうごう》しい老女の顔であった。その次に彼の眼に付いたものは彼女の持っている鼓であった。漆黒《しっこく》の胴、飴色の皮、紫の締め緒を房々と結んだやや時代ばんだその鼓は生命《いのち》ない木製の楽器とは見えず声のある微妙な生物《いきもの》のように彼の瞳に映ったのであった。
「ご老女」と麟太郎は呼びかけた。しかしその後はどう云ってよいか継ぎ穂に困《こう》じて黙ってしまった。すると老女は仮面《めん》のような顔をわずか綻《ほころ》ばして笑ったが穏《おだや》かな調子でこう云った。
「どうぞあなたのお芳志《こころざし》をお施こしなされてくださいまし」
「容易《たやす》いことです、進ぜましょう」麟太郎は袂《たもと》へ手を入れたが鳥目《ちょうもく》などは一文もない。まして家の内を探したところで金のありよう筈がない。彼は当惑して赤面したが焚きかけの飯
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