て起こるめえ」
「うん、こいつぁ金言だ」
「それ、金言という奴は、行う所に値打がある」
「よしよし今夜だけ食わせてやろう」
「そうだ、其処だよ、今夜だけ[#「だけ」に傍点]だ。明日になったら麦飯をやんな」
「麦飯なら毎日食っている」
「おお然《そ》うか、そいつぁ不可《いけ》ねえ。豆腐のから[#「から」に傍点]でも食わせるがいい」伊右衛門は此処でニヤリとした。「一旦手中に入れたからは、女は虐《いじ》めて虐め抜くに限る。そうすると屹度《きっと》従《つ》いて来る。手が弛《ゆる》むと逃げ出すぞ」
「悪にかけちゃあお前《めえ》が上だ」
「天井抜けの不義非道」
「首が飛んでも動いて見せるか」
「なにさ、良心を麻痺させる、だけよ」
また釣棹が動き出した。
グイと伊右衛門は引き上げた。
「や、南無三、餌《え》を取られた。……それは然《そ》うとオイ直助、今日は鰻は取れたのか?」
「うんにゃ」
と直助は首を振った。「店で買って食わせる気だ」
「そんなに金があるのかえ?」
「金はねえが料《しろ》がある」懐中《ふところ》から櫛《くし》を取り出した。「先刻《さっき》下ろした鰻掻、歯先に掛かった黒髪から、こんな鼈甲《べっこう》が現われたってやつさ」
「おや」
と伊右衛門は眼を見張った。「たしか其奴《そいつ》はお岩の櫛!」
「いけねえいけねえ」と懐中《ふところ》へ隠した。「ふてえ[#「ふてえ」に傍点]分けはご免だよ」
のい[#「のい」に傍点]と直助は立ち上った。
「それじゃあ旦那、また逢おう」
愉快な空想に耽り乍《なが》ら、直助は飛ぶように帰って行った。
夕暮れがヒタヒタと迫って来た。
遠景が仄《ほのか》に暈《ぼか》された。
夜と昼との一線が来た。
「どれ棹を上げようかい」
何か樋の口から流れ出た。
菰《こも》を冠《かぶ》った板戸であった。
「覚えの杉戸」
と伊右衛門は云った。
手を板戸の角《すみ》へかけた。グーッと足下へ引き上げた。
バラリと菰を刎《は》ね退《の》けた。
お岩の死骸が其処にあった。
肉が大方落ちていた。眉間が割れて血が出ていた。片眼が瘤《こぶ》のように膨れ上がっていた。
と、死骸が物を言った。
「民谷《たみや》の血筋……伊藤喜兵衛が……根葉を枯らして……この身の恨み……」
伊右衛門は高尚《ノーブル》に反問した。
「ははあ、白《せりふ》は夫《そ
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