しょうお柳という女は、わたしをジロリと見返しましたが、「いいじゃアないか、お嫉妬《やき》でないよ」
と、言い返したではありませんか。
それから十日ばかりの日がたちました。ある日わたしはいつものように、縄張りの諸家様《しょけさま》を廻り、合力《ごうりき》を受け、夕方帰路につきました。鳥にだって寝倉がありますように、乞食にだって巣はございますので。瓦町《かわらまち》の方へ歩いて行きました。考えごとをしておりましたので。町の口へ参りましたころには、初夜《しょや》近くなっておりましたっけ。ふと行く手を見ますと、一人のお侍さんが、思案にくれたように、首を垂れ、肩をちぢめて歩いて行く姿が、月の光でぼんやりと見えました。
(途方にくれているらしい)わたしはおかしくなりました。(殺生《せっしょう》だが一つからかって[#「からかって」に傍点]やろう)というのは、そのお侍さんの誰であるかが、私にわかっていたからで。
そこでわたしはお侍さんに近より、
「討ち損じたは貴郎様《あなたさま》の未熟、それでさがし出して討とうとなされても、あてなしにおさがしなされては、なんではしっこい[#「はしっこい」に傍点]江戸者などを、さがし出すことができましょう」
と、ささやくように言ってやりました。
西条勘右衛門様の驚くまいことか――そう、そのお侍様は西条様なので――ギョッとしたように振りかえられました。でも見廻した西条様の眼には、菰《こも》をまとい竹の杖をつき、面桶《めんつう》を抱いた乞食のほかには、人っ子一人見えなかったはずで。そうしてまさかその乞食が、今のようなことを言ったとは、思わなかったことと存じます。
はたして西条様は、自分の耳を疑うかのように、首をかしげましたが、やがて足を運ばれました。そこでわたしもしばらくの間は、無言で従《つ》いて行きました。でもまたこっそり背後《うしろ》へ近寄り、ささやくように言ってやりました。
五
「大工だと申したではございませんか。ではお城下の大工の棟領を――それも船大工の棟領を、おしらべなさいましたら、あの男の素性も、現在のおり場所も、おわかりになろうかと存ぜられまする」
「チエ」
もうこの時には西条様の刀が、抜き打ちにわたしの右の肩へ、袈裟《けさ》がけに来ておりました。
わたしは前へつんのめり[#「つんのめり」に傍点]ました。
「そう、あの男もこんなように、貴郎様の太刀先をのがれましたねえ」
「乞食め!」
と西条様はわたしの背を目がけ、斬りおろしました。
それを掻《か》いくぐって左へ飛び、
「ここに庄内川がありましたら、わたしもあの男のように川へ飛び込んで、のがれることでございましょうよ。……それにしても惜しいものだ、乞食にばかりこだわらずに、素直に私という人間の言葉を聞いて、持田さんあたりを調べたら、たいした功が立てられるのに……」
言いすててわたしは露路の一つへ駈《か》けこみましたっけ。
庄内川の岸で、職人風の男を討ちそこなって逃がし、西丸様からお叱りを受け、どうあろうとその男をさがし出し、討ってとれとの厳命を受け、さがし廻っているがわからない。そのムシャクシャしている腹の中へ、グッと棒でも突っ込んだように、わたしの言葉がはいったのですから、わたしに対する憎しみは烈しく、あくまでも斬りすてようと、わたしの後《あと》を追って、西条様が、露路へ駈け込んで来たのは、当然のことかと存ぜられます。でも露路には枝道《えだみち》が多く、こみいっておりましたので、わたしがどこへかくれたか、西条様にはわからなかったようです。
その西条様がぼんやりした様子で、一軒の家の前に佇んだのは、それから間もなくのことでした。
平家《ひらや》だての格子づくりの、粋《いき》な真新しい家の前でした。
と、格子戸の奥の障子が、土間をへだてて明るみ、やがて障子が開き行燈《あんどん》をさげた仇《あだ》っぽい女が、しどけない姿をあらわしました。睫毛《まつげ》の濃い大型の眼、中だるみ[#「だるみ」に傍点]のない高い鼻、口はといえばこれも大型でしたが、受け口めいておりましたので、色気にかけては充分でした。空《あ》いている左手を鬢《びん》へ持って行き、女のくせで、こぼれている毛筋を、掻《か》きあげるようにいたしましたが、八口《やつくち》や袖口から、紅色がチラチラこぼれて、男の心持を、迷わせるようなところがありました。及び腰をして格子戸の方を隙《す》かし、
「どなた、宅にご用?」
と、含みのある水っぽい声で言ったものです。
「いや」
と西条さんは狼狽《ろうばい》したような声で、
「狼藉者《ろうぜきもの》が入り込んだのでな」
「狼藉者? 気味の悪い……どのような様子の狼藉者で?」
「乞食じゃよ、穢《きた》ない乞食じゃ」
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