い歩いていますうちに、こんなところへ来ましたんで。……そこでぼんやり川を眺めて……」
「大工、そうか、手を見せろ」
「手を? なんで? なんで手を?」
「大工か大工でないか調べてやる」
「…………」
「大工なら鉋《かんな》だこ[#「だこ」に傍点]があるはずだ」
「…………」
「これ手を出せ、調べてやる。……此奴《こやつ》手を懐中《ふところ》へ入れおったな!」
「斬れ!」
 とその時烈しいお声で、宗春様が仰せられました。
「あッ」
 これはわたしが言ったのです。
 ご家来が編笠をうしろへ刎《は》ね、抜く手も見せず、職人風の男の右の肩を、袈裟《けさ》がけにかけたからで。
 職人風の男は倒れました。でもそれは斬られて倒れたのではなくて、太刀先を避けて倒れたのです。
「汝《おのれ》!」
 と西条勘右衛門《さいじょうかんえもん》様は――そう、編笠が取れましたので、そのご家来が尾張の藩中でも、中条流《ちゅうじょうりゅう》では使い手といわれる、西条様だということがわかりましたが、そう仰せられると、踏み込み、刀を真向《まっこう》にふりかぶり、倒れている職人風の男の背をめがけ、お斬りつけなさいました。
 が、その途端に土と小石と、むしられた草とがひとつになって、バッと宙へ投げ上げられ、つづいて烈しい水音がして、職人風の男は見えなくなってしまいました。川へ飛び込んで逃げたのでした。

      三

 二度目にこの男と逢《あ》いましたのは、それから三日後のことでありまして、名古屋お城下は水主町《かこまち》、尾張様御用の船大工の棟梁《とうりょう》、持田《もちだ》という苗字《みょうじ》を許されている八郎右衛門というお方の台所口で。
 燈《ひ》ともしころのことでありまして、わたしはその日、そのお宅へ、物乞《ものご》いに参ったのでございます。それまでにも再々参ったことがありまして、そのお宅はいわばわたしにとりましては、縄張りの一つだったのでございます。ご主人様がご親切だからでございましょうが、下女下男までが親切で、わたしの顔を見ますると「勢州《せいしゅう》が見えたから何かやりな」と、面桶《めんつう》の中へ、焚《た》きたてのご飯などを、お入れ下さるのでございます。さてその日も、ご飯を頂戴いたしましたので、台所口から出て、塀《へい》に添って往来《とおり》の方へ歩いて行きました。すると行く手から、一人の男がやって参りましたが、お台所ちかくまで参りますと、にわかに呻《うめ》き声をあげて、地へ倒れたではございませんか。驚いてわたしは引き返し、その男の側へ参り、顔を覗《のぞ》きこみましたところ、例の男だったのでございます。
(さてはこの男ここでまた一芝居《ひとしばい》を……)
 と、胸にこたえる[#「こたえる」に傍点]ところがありましたので、いっそ蹴殺してやろうかと足を上げました。

      四

 ところが、お台所口から射し出している燈《ひ》の光で、その男の地に倒れている姿が、女中衆や下男衆に見えたとみえて、飛び出して来て、
「可哀そうに」
「行き倒れだね」
「自身番へ知らせてやんな」
「何より薬を」
「水を持って来い」
 などと、口々に言って、その男の介抱にかかったではありませんか。その騒がしさに不審を打ちましたものか、持田様のお嬢様と、そのお気に入りのお上女中《かみじょちゅう》のお柳さんというお方が、奥から出て参られ、
「気の毒だから家《うち》へ入れて介抱してあげたがいいよ」
 と言われました。下男衆がその男をかかえて、家の中へ運んで行く時、その男の顔を覗き、
「好《い》い縹緻《きりょう》ね」
 とお嬢様のお小夜様が、お柳という女中へささやかれたのを聞いて、わたしは厭な気がいたしましたっけ。それというのも日ごろから、そのお美しさと初々《ういうい》しさとに、感心もし敬ってもいる、お小夜様だったからでございます。お小夜様のお年は十九歳でございましたが、すこし小柄でございましたので、十七歳ぐらいにしか眺められず、小さい口、つまみ鼻、鮠《はや》の形をした艶のある眼、人形そっくりでございました。大工の棟梁とは申しましても、尾張様御用の持田家は、素晴らしい格式を持っていまして、津田助左衛門様、倉田新十郎様、などという、清洲越《きよすごえ》十九人衆の、大金持の御用達衆《ごようたししゅう》と、なんの遜色《そんしょく》もないのでありまして、その持田様のお娘御でございますことゆえ、召されておられるお召し物なども、豪勢なもので、髪飾りなどは銀や玳瑁《たいまい》でございました。
「ほんとに好い男振りでございますのね」
 とお柳という女中も申しましたっけ。
「馬鹿め、何が好い男だ!」
 とうとうわたしは腹立たしさのあまり、かなり烈しい声で、そう言ったものでございます。するとどうで
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