「はっきりご返辞してくださいまし」
四
ここに一人の武士があった。
微禄ではあったが直参であった。といったところでたかが御家人、しかし剣道は随分たっしゃで、度胸もあれば年も若かった。悪の分子もちょっとあり、侠気もあってゴロン棒肌でもあった。名は結城旗二郎、欠点といえば美男ということで、これで時々失敗をした。
「アレーッ……どなたか! ……助けてくださいよーッ」女の悲鳴が聞こえて来た。
お誂え通りわる[#「わる」に傍点]が出て、若い女をいじめているらしい。
「よし、しめた、儲かるかもしれない」
で、旗二郎駈け付けた。
案の定というやつである、ならずもの[#「ならずもの」に傍点]らしい三人の男が、一人の娘を取りまいていた。
「これ」といったが旗二郎、「てんごう[#「てんごう」に傍点]はよせ、とんでもない奴らだ!」
「何を!」
と三人向かって来た。
「何をではない、てんごう[#「てんごう」に傍点]は止めろ」
「何を!」
と一人飛び込んで来た。
「馬鹿め!」
と抜いた旗二郎、ピッシリ、平打ち、撲《は》り倒した。
「野郎!」
ともう一人飛び込んで来た。
「うふん」
ピッシリ、撲り倒した。
「逃げろーッ」
三人、逃げてしまった。
「あぶないところで、怪我はなかったかな?」こういう場合の紋切り型だ、旗二郎娘へ声を掛けた。
すると娘も紋切り型だ。「はい有難う存じました。お蔭をもちまして幸いどこも……」
「若い娘ごが一人歩き、しかもこのような深夜などに……」これもどうにも紋切り型である。
「送って進ぜよう、家はどこかな?」どこまでいうても紋切り型である。
ところがそれが破壊されてしまった。紋切り型が破壊されたのである。
「屋敷はここでございます」
二人の前に宏大な屋敷が、門構え厳《いか》めしく立っていたが、それを指差していったからである。
「ははあ」といったものの旗二郎、化かされたような気持ちがした。「それではご自分の屋敷の前で、かどわかされようとなされたので?」
「はいさようでございます」
「つまらない話で」と鼻白んだ。せっかくの武勇伝も駄目になったからだ。「が、それにしても迂濶《うかつ》千万! ……何さ何さあなたではござらぬ。あなたの家の人達のことで。……あれほど悲鳴を上げられたのに、出て来られぬとはどうしたもので」こうはいったものの馬鹿らしくなった。(そんなことどうだっていいではないか。こっちにかかわりあることではない。先様のご都合に関することだ)「では送るにも及びますまいな」(あたりまえさ!)とおかしくなった。(十足もあるけば家の中へはいれる)「ご免」といいすてるとあるき出した。(どうもいけない、儲けそこなったよ)
だがその時娘がとめた。「どうぞお立ち寄りくださいまし。お礼申しとう存じます。あの、父にも申しまして」それから門をトントンと打った。「爺や爺や、あけておくれ」
「ヘーイ」と門内から返辞があって、すぐ小門がギーと開いたが、「お侍様え、おはいりなすって。……さあお嬢様、あなたからお先へ」
「はい」と娘、内へはいった。「どうぞお立ち寄りくださいまし」これは門内からいったのである。
結城旗二郎いやになった。「『爺や爺やあけておくれ』『ヘーイ』ギー、門があいて、『お侍様えおはいりなすって』これではまるで待っていたようなものだ。おかしいなア、どうしたというのだ、薄っ気味の悪い屋敷じゃアないか」
で改めて屋敷を見た。一町四方もあるだろうか、豪勢を極めた大伽藍、土塀がグルリと取り廻してある。塀越しに繁った植え込みが見える。林といってもよいほどである。
「この屋敷へノコノコはいって行くには、俺のみなり[#「みなり」に傍点]は悪過ぎるなあ」
中身は銘《な》ある長船《おさふね》だが、剥げチョロケた鞘の拵えなどが、旗二郎を気恥ずかしくさせたのである。
とまた娘の声がした。「お礼申しとう存じます、どうぞお立ち寄りくださいまし」
「度胸で乗り込め、構うものか」
で旗二郎入り込んだが、これから大変なことになった。
五
ここは屋敷の一室である。
三十五、六の武士が、旗二郎を相手に話している。
「ようこそお助けくださいました。千万お礼を申します。あれは娘でございましてな、名は葉末、年は二十歳、陰気な性質ではございますが、その本性はしっかりものでござる。……迂濶と申せば迂濶の至りで、自分自身の屋敷の前で、かどわかされようとしましたので。とはいえどうもこの屋敷、ご承知の通り甚だ手広く、たとえ門前で悲鳴いたしても、母屋へまでは容易に聞こえず、困ったものでございます。……おおおおこれは申し遅れました、拙者ことは当屋敷の主人、三蔵《みくら》琢磨にございます。本年取って三十五歳、自分は侍ではございますが、仕官もいたさず浪人者で、それに性来書籍が好きで、終日終夜|紙魚《しみ》のように、文字ばかりに食いついております次第、隠居ぐらし、隠遁生活、それこそ庭下駄を穿かないこと、二十日間にもわたろうかという、そんな生活をいたしております。……ははあ、あなた様でございましたか、なるほどなるほどご浪人で、ほほうお名前は結城旗二郎殿で、で、お年は? 二十三歳? それはそれは、ちょうどよろしい。二十歳と二十三歳、全く頃加減でございますからな。……ほほうさようで、御家人の御身で、天下の直参、まことに結構、何んの申し分がありましょう。……ははあご家計はご不如意とか? なんのなんのそのようなこと、問題になることではございません。……家計と申せば当家などは、それこそ人の羨むほど、豊かなものではございますが、そのためかえって煩い多く、敵さえあるのでございますよ。……が、まずそれはそれとして、もはや深夜でございますので、なにとぞ別室でお休みあって、明朝ゆるゆるお話をな。……いやはやこれはとんでもない、ご内室の有無も承わらず、おとめしようとは失礼いたしてござる。しかしどうやら拝見しましたところ、ご独身のように存ぜられますが。……あッ、さようで、それは幸い、やはりご独身でございましたかな。何から何までよい具合で。……それに大変武芸にも勝れ人品もよく骨柄もよく、お立派なものでございますよ。……ええとところで今夜でござるが、ひょっとか[#「ひょっとか」に傍点]すると当屋敷へ、襲って来る人間があるやも知れず、ええその際にはご武勇をな、ぜひともお揮い願いたいもので。……ええとそれからもう一つ、ひょっとかすると当屋敷に、ちょっと[#「ちょっと」に傍点]変わった事件が起こり、お驚かせするかも知れませぬが、決して決してご介意なく、安心してお泊まりくださるよう」
三蔵琢磨というこの家の主人、こんな具合に話すのであった。
その琢磨の風貌だが、まことに立派なものであった。
艶々しい髪を総髪に結び、バラ毛一筋こぼしていない。広い額、秀でた眉、――それがノンビリと一文字である。軟らか味を持ち冴え返り、人情と智恵とを兼有したような、非常に美しい穏かな眼。鼻の高さ形のよさ、高尚という言葉さながらである。どこか女性的の小さな口。唇は刻薄に薄くもなく、さりとて卑しく厚くもない。で、やっぱり立派なのである。豊かな垂れ頬、ひきしまった頤、厚い耳たぶ[#「たぶ」に傍点]、長目の首、総体が華奢《きゃしゃ》で上品で、そうして何んとなく学者らしい。体格は中肉中|身長《ぜい》である。顔に負けない品位がある。着流しの黒紋付き、それで端然と坐っている様子は、安く踏んでも大旗本である。品位と貫禄と有福と、智恵と人情とを円満に備えた、立派な武士ということが出来る。
だが一つだけ不思議なのは、そのいうことやいう態度に、おちつき[#「おちつき」に傍点]のないことであった。どことなく何んとなくオドオドしている。何物をか恐れているようである。いっている言葉にも矛盾がある。そうしていわないでもよいようなことまで、いっているようなところがある。といってもそれが悪い心から、発しているものとは思われない。で、もちろん、加工的でもない。自然とそんなようになるのらしい。だからいよいよ変なのである。
何かに脅えているのらしい。何かに縋ろうとしているのらしい。助けられたがっているのらしい。――つまりそんなように見えるのであった。
「どうも不思議な人物だな。……変なところへ入り込んでしまった」
結城旗二郎は気味悪くなった。
「俺の意志など勘定にも入れず、勝手に決めてしまうのだからな。……俺が泊まろうともいわない先に、勝手に泊まることに決めてしまった。……が、どっちみちこの人物、悪党でないことは確からしい。で、この点は安心だ。いやいや悪党どころではない、非常に勝れた人物らしい。……だがそれにしても変だなあ、娘の親だとはいうけれど、ちっとも二人とも似ていないではないか。それにさ少し若過ぎる。娘の親としては若過ぎる。二十歳の娘に三十五歳の親。とすると十五で出来た子だ。女が十五で子を産むはいいが、男親の方が十五歳で子を産ませるとは早過ぎる。……といって、もちろん世の中に、全然ないことではないけれどな。……それにしても娘はどうしたんだろう? ちっとも姿を見せないではないか。……それにさこんなに途方もない、立派な広い屋敷だのに、一向召使いがいないらしい。考えてみれば、これも変だ。……何物か襲って来るという、その時には武勇を揮ってくれという、どう考えても変な屋敷だ。……が、まあまあそれもよかろう、よろしいよろしい乞われるままに、今夜この屋敷へ泊まってやろう。何か秘密があるのだろう、ひとつそいつをあばいてやろう」
で、旗二郎泊まることにしたが、はたしていろいろ気味の悪いことが、陸続として起こって来た。
六
通された部屋は寝所であった。
豪勢な夜具がしいてあった。
一通りの物が揃っていた。というのは結構な酒肴が、タラリと並べられてあるのであった。蒔絵の杯盤、蒔絵の銚子、九谷の盃、九谷の小皿、九谷の小鉢、九谷の大皿、それへ盛られた馳走なども、凝りに凝ったものである。金屏風が一双立て廻してある。それに描かれた孔雀の絵は、どうやら応挙の筆らしい。朱塗りの行燈が置いてある。その燈火に映じて金屏風が、眼を射るばかりに輝いている。片寄せて茶道具が置いてあり、茶釜がシンシン音立てている。
茶も飲めれば酒も飲める。寝たければ勝手に寝るがよい、寝ながら飲もうと随意である――といったように万事万端、自由に出来ているのであった。
が、一つだけ不足のものがあった。
酌をしてくれるものがないことである。
上《かけ》蒲団を刎ねた旗二郎、見ている者もないところから、敷蒲団の上へあぐら[#「あぐら」に傍点]を組み、手酌でグイグイ飲み出したが、考え込まざるを得なかった。
「どう考えたって変な屋敷だ、どう思ったって変な連中だ、からきし[#「からきし」に傍点]俺には見当がつかない。……それにさ、さっきの主人の言葉に、妙に気になる節があった」
というのは他でもない、「二十歳と二十三歳、ちょうど頃加減でございますからな」こういった主人の言葉である。
「これでは、まるでこの家の娘――そうそう葉末とかいったようだが、それと、この俺とを一緒にして、婚礼させようとしているように聞こえる。そういえば、さっき俺の身分を、それとなく尋ねたようでもあった。いよいよ合点がいかないなあ」
グイグイ手酌で飲んで行く。
だが酔いは少しも廻ろうともしない。心気がさえるばかりである。
「家の構え、諸道具や諸調度、これから推してもこの家は、大変もない財産家らしい。いや主人もそういった筈だ、人もうらやむほどの財産家だと。……その上娘はあの通り綺麗だ。婿にでもなれたら幸福者さ」
グイグイ手酌で飲んで行く。
葉末という娘の風采が、ボッと眼の前へ浮かんで来た。月の光で見たのだから、門前ではハッキリ判らなかったが、燈火の明るい家の中へはいり、旗二郎を父親へひきあわせ、スルリと奥へひっ込んだまでに、見て取った彼女の顔形は、全
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