武士の声は、悲しそうな調子を帯びて来た。
「ところが俺は持っていた。だから締め木にかけられたのだ! お前だお前だ、掛けたものは!」
 武士の姿は解らない。部屋に燈火がないからである。
 闇黒の中で誰にともなく、呼びかけ話しかけているのである。
 独立をした建物である。
 建物の周囲は庭園である。
 樹木がすくすくと繁っている。
 だが月光がさしている。
 その月光に照らされて、その建物がぼんやりと見える。一所瓦屋根が水のように光り、一所白壁が水のように光り、その外は木蔭にぼかされている。
 その中でしゃべっているのである。
 広大な母屋が一方にある。そこから廻廊が渡されてある。
 と、その廻廊の一所へ、ポッツリと人影が現われた。
 若い娘の姿である。
 建物に向かって声をかけた。
「お父様、お父様!」
 肩の辺に月光がさしている。で、そこだけが生白く見える。
「お父様、お父様!」
 ――すると、建物の戸口から、ポッツリと人影が現われた。
 戸口と廻廊とは続いている。
 現われたのは武士であった。
 しゃべっていた武士に相違ない。
 ちょうど廻廊の真ん中どころで、二つの人影はいきあった。
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