月があたっているかららしい。
「ふざけた奴らだ」と旗二郎、気を悪くしたが仕方なかった。庭は宏大、地の理は不明、木立や築山が聳えている。どこへ逃げたか解らない。追っかけようにも追っかけようがない。
「よし」と旗二郎決心した。「もう一人出るということだ。今度こそ遁がさぬ、料理してくれよう」
だがその企ても駄目であった。
というのは旗二郎抜き身を下げ、用心しながら先へ進み、竹藪の前まで来た時である、竹藪の中から声がした。
「お手並拝見してござる。なかなかもって拙者など、お相手すること出来ませぬ。先刻の平打ちも見事のもの、十分武道ご鍛練と見受けた。ついてはお願い、お聞き届けくだされ。……ずっと進むと裏門になります。そこから参るでございましょう、十数人の武士どもが。……今回こそはご用捨なく、手練でお打取りくださいますよう。……それこそ葉末殿のおためでござる。また、ご主人のおためでござる。ご免」と一声! それっきりであった。いや、ガサガサと音がした。竹藪を分けてどこともなく、どうやら立ち去ってしまったらしい。
「何んということだ」と旗二郎、本当に驚いて突っ立った。
「きゃつら敵ではなかったのか。葉末殿のため、ご主人のため、こういったからには敵ではなく、味方であるとしか思われない……。ではなぜ切り込んで来たのであろう? ではなぜ葉末というあの娘を、かどわかそうとしたのだろう? 何が何んだか解らない。解っていることはただ一つだ、怪しい館だということだけだ。どうでもこの屋敷、どうでも怪しい」
旗二郎怒りを催して来た。翻弄されたと思ったからである。
「主人のためでなかろうと、娘のためでなかろうと、俺は俺のために叩っ切る。来やがれ! 誰でも! 叩っ切る!」
で、スルスルと足音を忍ばせ、先へ進むと木立があり、それを抜けた時行く手にあたり、取り廻した厳重の土塀が見え、ガッシリとした裏門が、その一所に立っていた。
「うむ、あいつが裏門だな」
小走ろうとした時、トン、トン、トン、と、その裏門を外の方から、忍びやかに叩く音がした。
と、一つの人影が、母屋の方から現われた。意外にも女の姿である。裏門の方へ小走って行く。で、旗二郎地へひれ[#「ひれ」に傍点]伏し、じっと様子をうかがったが、またも意外の光景を見た。
八
というのは他でもない、小走って来たその女と、門外にいるらしい男との間に、こんな話が交わされたのである。
「首尾はどうだ?」と男の声がした。
「今夜十二時……」と女の声が答えた。
「ハッキリした返辞をするそうだよ」
「ナニ十二時?」と怒ったように、「それでは少し遅いではないか」
「遅くはないよ」と女の声も、何んとなく怒っているようである。「十二時キッチリにまとまったら、何んのちっとも遅いものか」ぞんざい[#「ぞんざい」に傍点]な伝法な口調である。
「が、一分でも遅れては駄目だ」不安そうな男の声である。
「九仭の功を一|簣《き》に欠くよ」
「百も承知さ」と嘲笑うように、「お前さんにいわれるまでもない」
「で、どうだい?」とあやぶむように、「まとまりそうかな、その話は?」
「そうだねえ」と女の声、ここでいくらか不安らしくなった。「はっきり、どっちともいわれないよ」
「腕がないの」と憎々しく、男の声は笑ったらしい。「それでもお前といわれるか」
「お互いッこさ」と負けてはいない。「そういうお前さんにしてからが、大して腕はないではないか」女の声も憎々しくなった。「こんな土壇場へ迫《せ》り詰まるまでいったい、何をしていたんだい」
「止せ!」といったものの男の声は、どうやら鼻白んだ様子である。「争《いさか》いは止めよう、つまらない」
ここでしばらく沈黙した。
茂みに隠れ、地にへばりつき[#「へばりつき」に傍点]、聞き耳を立てていた旗二郎、「解らないなあ」と呟いた。「何をいったいいっているのだろう?」
しかしどっちみち男も女も、善人であろうとは思われなかった。ここの屋敷の人達に対し、よくないことを企んでいる――そういう人間どもであることは疑がいないように思われた。
「事件は複雑になって来た。いよいよもって怪しい屋敷だ。……門外の男は何者だろう? 眼の前にいる女は何者だろう?」
で、旗二郎微動もせず、なおも様子を窺《うかが》った。
「とにかく」と男の声がした。門の外にいる男の声だ。「是が非でも成功させるがいい」
「お前さんもさ」といい返した。門内の女がいい返したのである。「万全の策をとるがいいよ」
「いうまでもないよ」と笑止らしく、「武士を入れるよ、切り込みのな。……備えはどうだ、屋敷内の備えは?」
「宵の間に一人若い武士が、屋敷へはいって泊まり込んでいるよ」
「え?」といったが驚いたらしい。「どんな人品だ? 立派かな?」
「
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