は平気である。
「しかしきゃつらは無尽蔵だからな」
「百人も殺したら形が付こう。茄子《なす》や大根を切るようなものだ」紋太夫は豪語する。
「しかしそれまでにはこっちも疲労《つか》れよう」
「ナニ、疲労《つか》れたら休むまでよ」
「俺の考えは少し違う」考え考えホーキン氏は云う。「俺は後へ引っ返そうと思う」
「引っ返すとはどこへ行くのだ?」
「俺の通って来たこの地下道は、幸いのことに迷宮ではない。枝道のない一本道だ。そうして社殿へ通じている。……だからこの道を二人で辿ってひとまず社殿へ出ようと思う」
「なるほど」と云ったが紋太夫は賛成の様子を見せなかった。
「なるほどそれもよいかも知れない。しかし俺は不賛成だ」
「ふうむ、不賛成? それは何故かな?」
「俺はオンコッコと約束した。剣《つるぎ》を取って来ると約束した。是非とも剣は取らなければならない」
「剣は大いに取るがいいさ。しかし今は機会《おり》が悪い」ホーキン氏は熱心に、「そうだ今は機会《おり》が悪い。とにかく一旦地下を出て、日の光の射す地の上へ出て、そうして部下を呼び集め、さらに再びこの地下道から地下の国へ侵入し、その剣を取るもよく、神秘の国の秘密を探り故郷への土産《みやげ》にするもいい。しかしどうしても一旦は地の上へ出る必要がある」
 さすがホーキン氏は英国人だけに、その云う事が合理的である。
「これはお説ごもっともじゃ」紋太夫は頷いた。「よろしい、お言葉に従おう。すぐに地下を出ることにしよう」
「おおそれでは賛成か。案内役はこの俺だ」
 云うより早く、ホーキン氏は地下道の奥の方へ走り出した。
 おおよそ十丁も来た頃であった。その時忽ち前方から――すなわち二人の行く手から、松火《たいまつ》の火を先頭に立て、その勢百人にも余るであろうか、真っ黒に固まった一団の人数が、こなたを指して寄せて来た。
 二人は驚いて立ち止まり、その一団の人数を見ると、意外も意外土人酋長オンコッコの率いる軍勢であった。
 その時、ワーッと鬨《とき》の声が、今来た方角から聞こえて来た。振り返って見ればさっきの土人が新たに人数を駆り集め後を追っかけて来たのであった。
 二人はここに計らずも腹背に敵を受けたのである。
「紋太夫殿、もういけない」ホーキン氏は嘆息した。
「いやいや、まだまだ、落胆するには及ばぬ。最後の場合には剣がござる。切れ味のよい日本刀! たかが南米の蛮人ども、切って捨てるに訳はござらぬ」
 日本武士の真骨頂、大敵前後に現われたと見るや、紋太夫は勇気いよいよ加わり、大刀の束《つか》に手を掛けながら前後を屹《きっ》と見廻したものである。

        二十

 ここで物語は一変する。
 ここは地上の森である。
 日光がキラキラと射し込んでいる。小鳥の啼き声、蜜蜂の唸り、小枝に当たる微風の囁《ささや》き、何んとも云えず快い。地上には草が青々と生え紅紫繚乱《こうしりょうらん》たる草花が虹のように咲いている。ジョージ・ホーキン氏と紋太夫とが、敵に襲われ敵を襲い、苦心している地下国と比べて、何んと気持ちよく美しいことぞ。
 と、森の一所から、嗄《か》れて神々《こうごう》しい老人の声と、楽し気な無邪気な少年の声とで、神を讃美する土人歌を、さも熱心に合唱している清らかな歌声が聞こえて来た。
 歌声はだんだん近寄って来る。と、一人の少年が、活溌に木の間から現われたが、他ならぬジョージ・ホーキン氏の子、美少年のジョンであった。
「小父さんおいでよ! 小父さんおいでよ」
 流暢《りゅうちょう》な土人語でこう呼ぶと、
「ジョンよジョンよ、足が速いのう、二歳《ふたつ》になった牝鹿のようだ」
 こう云い云い出て来たのは、酋長オンコッコを裏切ってまでジョンの危難を救ったところの、土人祭司バタチカンであった。
「あんまりピョンピョン刎《は》ね廻って、森の外へ出たが最後恐ろしい奴らに眼付《めっ》かるぞよ。さあさあここへ来るがいい。青草の上へ坐るがいい。面白い話を話してやろう」
 ジョン少年は穏《おとな》しく、祭司バタチカンの側へ行き、坐って話を聞こうとした。
 バタチカンとジョンとは親友《なかよし》である。ことに祭司バタチカンにとっては敵とも云うべきジョン少年が妙に可愛くてならないのであった。
 で、バタチカンはジョン少年を、最初の危難から救って以来、一心不乱に土人の言葉をジョン少年に教えたものである。土人の言葉は簡単であり、ことにジョンは怜悧であったので、わずかの間に覚えてしまって、二人はかなり困難《むずかし》いことまで土人の言葉で話すことが出来た。
「ジョンよ、ジョンよ、さあお聞きよ。これは大事な話だからね。そうしてこれは私達のうちでも、代々祭司を務める者だけが、わずかに知っている話だからね。……昔々遠い昔に、一羽の烏《からす》があったとさ。その烏は一本足でね、形は変に醜《みにく》かったけれど、大変利口な鳥だったそうだよ。その烏がある日のこと土人に向かってこう云ったそうだよ――
『チブロン島には宝はない。実は宝は海の上にある。船に乗って従《つ》いておいで! 私がそこまで案内しよう。けれど随分危険だぞよ。歌を唄う人魚とか、揺れている大岩とかその他山ほど恐ろしいことがある。それを承知なら従いて来い。宝の側まで連れて行ってやろう』
 ところが土人達は臆病で、従いて行こうとしなかったので、烏はとうとう愛想を尽かしてどこかへ飛んで行ってしまったとさ」
「それで烏はどこへ行ったの?」ジョン少年は訊くのであった。
「さあどこへ行ったものかね。それは私《わし》も知らないよ」
「二度と烏はやって来ないの?」
「さあそれも知らないよ」
「僕、烏に逢いたいなア」
「どうして烏に逢いたい?」
「僕、宝島へ行ってみたいよ」
「宝島へなら私《わし》も行きたい」
「烏! 烏!一本足の烏!」
 ジョン少年は歌いながら、森の奥へ駈けて行った。
 ちょうど同じ日の午後であったが、ジョン少年は森の奥で一羽の烏を発見した。残念なことにはその烏は一本足ではなかったけれど、しかし立派な大烏で、少年の空想を充たせるには、充分の値打ちを持っていた。
「烏、烏、大きな烏!」
 ジョン少年は歌いながらそっと石を拾い取り、何気ない風を装《よそお》ったが、忽ちビューッと投げ付けた。彼の考えでは石を投げ付け、黒い逞《たくま》しい二本の足の一本を折ろうとしたのである。
 狙った石は誤またず、一本の足へ当たったが、これが奇蹟とでも云うのであろうか、その足が折れて落ちて来た。
「あっ」
 と驚いたジョン少年は思わず声を筒抜かせたが、それより一層驚いたのは足を折られた大烏で、バタバタと枝から離れると、さも倦怠《だる》そうに羽摶《はばた》きながら、森を潜って舞って行く。
「烏、烏、一本足の烏! 烏、烏、一本足の烏」
 ジョンは夢中に叫びながら烏の後を追っかけた。
「ジョンよ、ジョンよ!」とバタチカンの声が、背後《うしろ》から心配そうに呼ばわったが、ジョン少年は返辞さえしない。
 いつしか森も出外れた。
 と、突然、海岸へ出た。潮が岸へ寄せている。一つの小さい入江があり、そこに一艘の丸木舟が、波に揺れながら漂っていた。そうして烏は海の上をゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]ゆっくり翔《か》けて行く。
 ジョンは英国の少年である。そうして英国は海国である。ジョン少年は子供ながら、海の知識には富んでいた。丸木舟ぐらい漕ぐことが出来る。
 ひらり[#「ひらり」に傍点]と丸木舟へ飛び込んだ。
 烏を追おうとするのである。

        二十一

 一本足の烏に誘われ、ジョン少年が走り去ったとも知らず、司祭バタチカンは林の中を声を上げながら探し廻った。
「ジョンよ! ジョンよ! ジョンはいないかな! 林の外には敵がいるぞよ、林の外へ行くではないぞよ。ジョンよ。ジョンよどこにいるな!」
 しかしどこからも返辞がない。
 バタチカンは次第に不安になった。椰子《やし》の根もとに佇《たたず》みながら心配そうに考え込んだ。林の中は静かである。ここには何んの危険もない。美しい日光と涼しい風と香《におい》のよい草花と緑の木々、それらの物があるばかりだ。旨《うま》い果物《くだもの》や綺麗な泉、これらの物があるばかりだ。しかし一|度《たび》林の外へ出ると、恐ろしい土人が群れていよう。
「ジョンよ、ジョンよ!」
 とバタチカンはまた不安そうに呼んだけれど、ジョンの返辞は聞こえなかった。
「ああ心配だ心配だ。あの子はいったいどこへ行ったんだろう」
 益※[#二の字点、1−2−22]不安は加わって来る。その時にわかに大勢の人が歩いて来るような足音がした。
 ハッとバタチカンは仰天した。「オンコッコの仲間に違いない。見付かったが最後裏切り者として掟《おきて》通り殺されるだろう。逃げなければならない、逃げなければならない」
 彼は急いで藪地の方へ足音を忍んで走って行った。しかし藪地へ届かない前に彼は敵に見出《みい》だされた。それはオンコッコの仲間ではなくて、日英同盟の軍隊であった。すなわち来島十平太とゴルドン大佐との連合軍であった。
 忽ちバタチカンは縛《いまし》められ二大将の前へ引き据えられた。
「これ貴様は何者だ?」
 ゴルドン大佐がまず訊いた。
「土人の神職《かんぬし》でございます」バタチカンは英語でこう云った。ジョン少年からバタチカンは、速成に英語を学んだので普通の会話ぐらいは出来るのである。
「貴様の名は何んと云う?」
「はい、バタチカンと申します」
「仲間の土人はどこへ行った?」
「私、一向存じません」
「何、知らぬ? それは何故か?」
「仲間にとってこの私は裏切り者でございます」
「何をして裏切った?」
「ジョンという子供を助けましたので」
 これを聞くと英人達はにわかに態度を改めた。
「ジョン少年を救ったのはさてはバタチカンお前であったか。乱軍の場合ではあったけれど、一人の土人がジョン少年を酋長オンコッコの毒刃から救い、小脇に抱えて逃げ出したのを遠目ながら確かに見た。そう聞いては粗末に出来ぬ。バタチカンの縛《いまし》めを解かなければならない。……さて、ところでジョン少年は今もお前の手もとにいような?」
「それがいないのでございます」
「ナニ、いない? どこへやった?」
「いえやったのではございません。消えてなくなったのでございます」
 それからバタチカンはこれまでの事を、貧しい会話と手真似とで出来るだけ詳しく物語った。その態度にも、言葉にも偽《いつわ》りらしいものは見えぬ。ゴルドン始め人達は信用せざるを得なかった。
「探さねばならぬ。探さねばならぬ」
 英人達は云うまでもなく日本方でもこう云って、捜索の人数を出すことにした。
 しかし、いくら探してもジョンの姿は見付からなかった。で、人達は絶望してまた一所へ集まった。
 ジョン少年はどこへ行ったのであろう?
 ゴルドン大佐はバタチカンを捉らえ、いろいろのことを訊いて見た。
「実は俺達は土人軍を追って、島を縦横に駈け廻ったところ、不意に一時にその土人達が姿を隠してしまったのだ。まるで地の中へ吸い込まれたようにな。……この島には地下へ通う抜け穴のようなものがあるのではないかな?」
「はい、抜け穴がございます」
「おおあるか! どこにあるな?」
「しかも三つございます」
「おお、そうか、教えてくれ」
「一つは社殿にございます」
「ナニ、社殿? 社殿のどこに?」
「はい床下にございます」
「それは少しも気が附かなかった」
「それからもう一つは林の奥の窟《いわや》の中にございます。しかしここからは、容易のことでは地下の世界へは行けません。迷路が作られてありますので」
「で、もう一つはどこにあるな?」
「はいこの島の裏海岸の荒野の中にございます」
「さてはそこから逃げ込んだものと見える」
「恐らくさようでございましょう」
「地下の世界とはどんな世界かな?」
「恐ろしい所でございます。神秘の世界でございます」

        二十二

 一本足の大烏
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