ては圧殺《おしころ》すつもりだな」
石の天井はきわめて静かに下へ下へと下りて来る。間もなく天井は下りきるであろう。彼は圧殺《あっさつ》されるであろう。どこからも遁《の》がれる道はない。手を空《むな》しゅうして殺されなければならない。
十七
陰気な、鈍い、気味の悪い、キ――という軋り音《ね》を立てながら、一刻一刻、徐々として、釣天井が下がって来る。重い重い釣天井だ。それに圧《お》されたら命はない。平目《ひらめ》のように潰されなければならない。
豪勇小豆島紋太夫もどうすることも出来なかった。「俺の命もここで終えるか」――こう思うと残念ではあったが、遁がれ出ることも出来そうもない。床は部厚の石畳であり四方の壁も石である。たった一つの戸口の扉には外から閂《かんぬき》がおろされてある。……キー、キー、キー、キー、天井は央《なかば》まで下りて来た。
紋太夫は切歯したものの、坐っていることが出来ないので、ぴったり石畳へ横臥した。間もなく天井は部屋の高さの三分の二まで下がって来た。しかも尚も下がり止《や》まない。やがて紋太夫は背の辺へ天井の重さを感じるようになった。とうとう天井が彼を殺すべく背まで下がって来たのである。
「もういけねえ」と紋太夫は観念の眼を堅く閉じた。「大日本国の武士《もののふ》が、異国も異国南米の蛮地の、しかも不思議な窟《いわや》の中の日の目を見ない妖怪国で、野蛮人どもの姦計に落ち、釣天井に圧殺されようとは! 無念も無念、残念ではあるが、これも、天命のしからしむるところか。――あ、苦しい! 息詰まるわい!」
もう一押し押されたなら、紋太夫の体はひとたまりもなく、粉微塵《こなみじん》になろうと思われた。と、その時、彼の寝ている厚い石畳の真下に当たって、コツコツコツコツと音がした。
こういう危険の場合にも、紋太夫は正気を失わない。「はてな?」と耳を傾むける。
コツコツコツコツとその音は、次第次第に高くなったが、ザーッと土でも崩れるような騒がしい音が聞こえたとたん、グラグラと、石畳は左右に揺れ、そのままドーンと下へ落ちた。あっ! と思う暇もない、紋太夫の体は宙を飛んで、どっと床下へ落ちたものである。
「ああ助かった!」
と紋太夫は、思わず歓喜の声を上げ、忙がしく四辺《あたり》を見廻すと、石畳の外れた跡の穴から、仄々《ほのぼの》射し込む光に照らされ、朦朧《もうろう》と四方《あたり》は明るかったが、見れば自分のすぐ側に一人の男が立っている。
土人でもなければ日本人でもない。長崎あたりでよく見掛ける、それは西洋の人間であったが、いかにも意外だと云うように紋太夫の顔を見守っている。これぞ他ならぬジョージ・ホーキン氏で、同氏が酋長オンコッコのため神殿の床下へ押し込められたことは、すでに説明した筈であるが、その後同氏はその床下に地下道のあることを発見し、死中に活路を得ようものと無二無三に突き進んだ結果、ほとんど一昼夜を費したところで、その地下道がこの地点で行き詰まったことを発見した。そこでふと天井を眺めて見た。と、平石《ひらいし》が並べてある。長い年月を経たものと見えて石と石とのその間にわずかながらも隙間《すきま》があって、そこから光が洩れていたのでさては地上へ出られようも知れずと、饑えと、乾《かわ》きと疲労とで、弱っているにも拘《かかわ》らず夢中で土を掘ったのであった。果然平石が落下して、穴の開いたのはよいとして、それと一緒にいとも凛々《りり》しい立派な人間が落ちて来ようとは思い設けないことであった。
その落ちて来た人間が、土人でもなければ自分の味方でもなく、東洋の武士《もののふ》だということが一層彼を驚かせた。
紋太夫はつと[#「つと」に傍点]進んだ。
「これはどなたか存じませぬが、あぶないところをお助けくだされ何んとお礼を申してよいやら、私事は日本の武士小豆島紋太夫にござります」
こう恭《うやうや》しく云いながら丁寧《ていねい》に腰をかがめたけれど、英国人のホーキン氏にそれが解ろう筈がない。でホーキン氏は当惑してただ黙って立っている。しかし人間の感情は、日本人であれ英国人であれ、大して変わるものではない。で、ホーキン氏は手真似を加え、それで和蘭語《オランダご》や西班牙語《スペインご》や、知っている限りの言葉を雑《まじ》え、
「私は英国の探険家ジョージ・ホーキンと申すもの、お見受けすれば何事か恐ろしい事件の起こられた様子、事情お話しくだされますよう」
ところが、小豆島紋太夫は、かつて長崎の和蘭人《オランダじん》から、久しく和蘭語《オランダご》を学んだことがあって、会話ぐらいには事を欠かなかった。そこで忽ち二人の者は、お互いの遭難を語り合うことが出来た。話し合って見れば同じような境遇、親しくならざるを得なかった。
「釣天井で圧殺とは、聞いただけでも身が縮《すく》む。無残なことをする奴らだ」
ホーキン氏もさもさも驚いたように歎息しながらこう云ったが、「これは捨てて置かれない。是非とも復讐をしなければならぬ」
「さよう、復讐をしなければならぬ」紋太夫は頷いて、「石畳が落ちた後の穴から、屋上へ二人躍り出て土人どもを撫で切りにするか。それともきゃつらが結果を案じ、いずれ地下道へ下りて来るであろうが、そこを待ち受けて討ち果たすか、さあどっちがよかろうな」
十八
「敵は大勢、味方は二人、広場へ出ては敵《かな》いそうもない。きゃつらが地下道へ来るのを待って、容易《やすやす》討つに越したことはない」これがホーキン氏の意見である。
「なるほど、それがよろしかろう。逸《いつ》をもって労を討つ、これ日本の兵法の極意じゃ」
「我が英国の兵法にもそういうことは記されてある。兵の極意は科学的であるとな」
「科学的とは面白い言葉だ。つまり理詰めと云うのであろう」
「さようさよう、理詰めと云うことじゃ。敢て兵法ばかりでなく、万事万端浮世の事は、すべからく総《すべ》て科学的でなければならない」
「科学もいい、理詰めもいい、しかしその外にも大事なものがある」紋太夫は昂然《こうぜん》と云う。「他でもない大和魂《やまとだましい》よ」
「大和魂? 珍らしい言葉だな。俺にとっては初耳だ。ひとつ説明を願おうかな」ホーキン氏は不思議そうに訊く。
「いと易いこと、説明してやろう。君には忠、親には孝、この二道を根本とし、義のためには身を忘れ情のためには犠牲となる。科学や理詰めを超越し、その上に存在する大感情! これすなわち大和魂じゃ!」
「ははあ、なるほど、よく解った。英国流に解釈すると、つまり騎士道という奴だな」
「騎士道? 騎士道? いい言葉だな。しかし、俺には初耳だ。騎士道の説明願おうかな」
「何んでもないこと、説明しよう。我が国中古は封建時代と称し、各地に大名が割拠《かっきょ》していた。その大名には騎士《ナイト》と称する仁義兼備の若武者が、武芸を誇って仕えていた。その騎士は原則として、魑魅魍魎《ちみもうりょう》盗賊毒蛇、これらのものの横行する道路険難の諸国へ出て行き、良民のために粉骨砕身、その害物を除かねばならぬ。多くの悪魔を討ち取った者、これが最も勝れた騎士で、その勝れた騎士になろうと無数の騎士達は努力する。これがすなわち騎士道じゃ!」
「なるほど、説明でよく解った。いやどうも立派なものだ。いかさまそれこそ大和魂だ」
「それではそなたは大和魂で、そうしてこちらは騎士道で、土人どもに当たるとしようぞ」
「向かうところ敵はあるまい」
「そろそろ土人ども来ればよいに」
「や、にわかに明るくなったぞ」
危難を眼前に控えながら、小豆島紋太夫とホーキン氏とはお国自慢兵法話に、夢中になっていた折りも折り、薄暗かった地下道の中がカッと明るく輝いたので、驚いてそっちを眺めると、石畳が落ちて出来た穴から、松火《たいまつ》が幾本か差し出されている。土人どもが覗いているのだ。
「さてはいよいよ下りて来るな」「少し奥へ引っ込んでいようぞ」
地下道の二人は囁《ささや》き合いながら、そっと奥へ身を引いたが、ちょうど幸い左右の岩壁から、体を隠《かく》すに足りるような二つの岩が突き出ていたので紋太夫は左手の岩の蔭へ、ホーキン氏は右手の岩の蔭へ、素早く姿を隠したが、困ったことにはホーキン氏は手に武器を持っていない。酋長オンコッコに捕らえられた時、悉皆《しっかい》掠奪されてしまった。
「小豆島氏、紋太夫殿」ホーキン氏は呼びかけた。
「何んでござるな? 何かご用かな?」
「拙者、武器を持っていませぬ」
「武器がないとな。いやいや大丈夫。武器を持っている土人めを拙者真っ先に叩き斬るゆえ、そいつの武器をお使いなされ」
「これは妙案。お願い申す」
で、二人は沈黙した。じっと向こうの様子を窺《うかが》う。
と、五、六人ヒラヒラと穴から地下道へ飛んだ者がある。とまた五、六人ヒラヒラと蝙蝠《こうもり》のように飛び下りて来た。武器を持った土人どもである。すぐに彼らは一団となり、何か大声で喚きながら、地上を熱心に探し廻る。紋太夫の死骸を探すのでもあろう。死骸のないのを確かめたからか、彼らはいかにも不思議そうに顔を集めて話し合ったがややあって颯《さっ》と別れると、一列縦隊に組を組み、ここへ足早に走って来た。
「ホーキン氏《うじ》、来ましたぞ」「さようかな、それは面白い」
こちらの二人は囁き合いながら、土人の近寄るのを待っている。
土人が手に持った松火《たいまつ》の光で、地下道の中は昼のように明るく、そのため土人の行動は手に取るように解ったが、二人は岩に隠れているので、土人の眼には映らない。今や土人は二人の前を足早に奥へ走り抜けようとした。
日本人同士の戦いではない。相手は無作法の土人のことだ。紋太夫はあえて掛け声もかけず、振り冠っていた白刃を、ピューッと一つ振り下ろした。ドンという鈍い音! 土人の首が地へ落ちたのだ。松火の光を貫いて一筋の太い血の迸《ほとばし》りが、四尺余り吹き出したのは、物凄くも壮観である。土人はあたかも枯れ木のようにドンと斃《たお》れて動かなくなった。
十九
斬ると同時に紋太夫は岩の蔭へ身を引いたが、真に素早い行動である。しかしそれにも劣らなかったのは、斃れた土人が手に持っていた人骨製の短槍を、岩の蔭から手を伸ばし、素早く攫《と》ったホーキン氏の動作で、槍を握るとその槍で二番手の土人の胸を突いた。「ワーッ」と云ってぶっ[#「ぶっ」に傍点]仆《たお》れる土人。胸から滾々《こんこん》と流れ出る血で、土がぬかるむ[#「ぬかるむ」に傍点]ほどである。とまたパッと岩の蔭から躍り出たのは紋太夫で、構えも付けず横なぐり[#「なぐり」に傍点]に三番目の土人の肩を斬った。すなわち袈裟掛《けさが》けにぶっ[#「ぶっ」に傍点]放《ぱな》したのである。「キャッ」というとその土人は酒樽のようにぶっ仆《たお》れたが、切り口からドクドク血を零《こぼ》す。とたんに飛び出たのはホーキン氏で四番目の土人の腹を突いた。
「えい、ついでにもう一匹!」
叫ぶと一緒に五番目の土人を、紋太夫は腰車に刎《は》ね上げた。
「もうよかろう」
「では一休み」
二人は声を掛け合ったが颯《さっ》と隠《かく》れ家《が》へ飛び込んだ。汗も出なければ呼吸《いき》もはずまない。
それこそ文字通り一瞬のうちに、五人殺された土人どもは、味方の死骸を捨てたまま、悲鳴を上げて逃げ出した。元来た方へ逃げ帰ったのである。土人の姿が消えてしまうと同時に松火も消えたので地下道の中は暗くなった。
「アッハハハハハ、弱い奴らだ」紋太夫は大声で笑い出した。「ホーキン氏、幾人斬ったな?」
「さようさ、二人は殺した筈だ」
「俺の方が一人多いな。俺は三人ぶッ[#「ぶッ」に傍点]放した」
「土人ども、どうするであろう?」
「このままでは済むまいな。いずれ大勢で盛り返して来よう」
「ちとそいつはうるさい[#「うるさい」に傍点]な」ホーキン氏は考え込む。
「来る端から叩っ斬るまでよ」紋太夫
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