れず……そこでその席から逃げ出し……若党をつれて湯治場へ遁《の》がれ……」
「婚礼の当夜ではあり、若い若党と、そんな温泉宿《ゆやど》で、二人だけで泊まったのに、何んでもなかったとは偉いですなあ」
 と云ったのは、同じ越中の薬売りであった。
「だが人は信じますまいよ」
「そうなのです」
 と、絹商人は話をつづけた。
「お嬢様の父親というのがまず信じなかったそうで……」
「どうしました?」
「主家の娘を誘惑し、連れ出し、傷者にした不届きの若党というので……」
「どうしました?」
「打ち首……」
「へえ」
「というところを、片耳を剃いで、抛《ほう》りだしたそうで」
「ひどいことをしやがる。娘がそいつを止めないという法はない」
「そうですとも」
「それから娘はどうしました?」
「翌年、他藩の重役のご子息のもとへ、めでたく輿入れなされたそうで」
「結構なことで、フン!」
「結構でないのは若党――お侍さんで、ガラリと性質が変わりましたそうで」
「変わりましょうなア」
「それからは女という女を憎むようになったそうです」
「あっしだって憎みますよ」
 と、口を出したのは、八木原宿の葉茶屋の亭主だという
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