る店の間を、グルグル廻りながら(娘は?)と佐五衛門は、そのことばかりを思った。
(あッ、風呂へはいりに行ったっけ!)
 やっと思い出した。そこで行燈を抛《ほう》り出し、廊下の方へ走り出した。
「お父様アーッ」
 と、お蘭が、その廊下から駆け込んで来た。
「お蘭が! わッ、その風《ふう》は!」
 お蘭は、男の着物、それも襤褸《ぼろ》のような着物を纒っていた。
「これ、権の着物よ、三国峠の権の……」
「権の? じやア手前、……」
「逢ったの、権と。……風呂で……」
「ヒエーッ、それじゃア手前、体を、権に! ヒエーッ、嫁入り前の体を!」
「何云ってるのよ。権、いい人だわ、恥ずかしがり屋だわ。悪人じゃアないわ。妾の眼に狂いはないわ! ……助けてやらなけりゃア! 捕られちゃア可哀そうよ」
「手エ付けなかったと? お前へ!」
(本当だろうか?)
(本当ならどんなに有難いことか!)
 と思う心の裏に、そんなことのあろう筈がないという不安が、すぐに湧いて来た。
(兇悪で通っている三国峠の権が、若い娘と、人のいない風呂で……)
 ムラムラと疑惑が募るのであった。
 でも、彼は、娘が、ひたむきに権を助けよ
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