「猛々《たけだけ》しいケダモノを取巻いたというのさ」
「猪? ……だって、季節《しゅん》じゃアないわ」
「猪よりもっと恐ろしいケダモノだ」
「何んだろう?」
「邪悪――そうだ、女をとりわけ憎んだっけ。……強盗《おしこみ》、放火《ひつけ》、殺人《ひとごろし》、ありとあらゆる悪業を働いた野郎だ」
「じゃア『三国峠の権《ごん》』のような奴ね」
「知ってるのか?」
「三国峠の権の悪漢《わるもの》だってこと、誰だって知ってるわ。でも、その権、ご領主様に捕えられたじゃアないの」
「うん、沼田のお城下で、土岐様の手に捕えられたよ」
「お牢屋へ入れられたっていうじゃないの」
「その牢を破ったんだ」
「まア。いつ?」
「昨夜《ゆうべ》」
「まア」
「そいつがこの土地へ逃げ込んだらしい」
「どうして解るの?」
「捕り手がこの家《うち》を取巻いたからさ」
「じゃアこの家の中に?」
「うん。……恐いか!」
「恐いわ」
「だから俺はさっき恐かアないかと云ったんだ! 俺が権だ!」
 ヌーッと男は、湯から、巨大《おおき》な柱でも抜き上げたように立ち上がった。
「フーッ」
 とお蘭は湯気を吹いた。
「あたし思いあたっ
前へ 次へ
全33ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング