そうで。婚礼の晴着姿で駕籠に乗られた時の美しさにはその若党も恍惚《うっとり》としたそうです。ところがどうでしょう、向こうのお屋敷で、今頃は高砂《たかさご》をうたっておられるだろうと思われる時刻に、そのお嬢様が一人で帰って来られ、若党へ、これからすぐ妾と一緒に行っておくれとおっしゃったそうで。どこへと若党が驚いて訊くと、いいから妾と一緒においでと云うのだそうです。そこで若党は夢中のありさまで従《つ》いて行ったところ、お嬢様は途中で駕籠をやとい、山越しをして某《なにがし》という湯治場へ行かれ、そこで一夜をその若党と明かされたそうですが、もちろん二人の仲には何事も……」
「へえ、そいつは感心ですねえ。……それにしてもどうして婚礼の席から?」
片耳を切られて
こう口を出したのは、越中の薬売りだという三十一、二の小柄の男であった。
「まアお聞きなさい。……お嬢様は、良人《おっと》になる奉行の息子というのが、兎口《みつくち》の醜男《ぶおとこ》なので嫌いぬいていたんですが、親と親との約束なのでどうにもならず、それで婚礼の席へは出たものの、今夜からこの男と……と思ったらいても立ってもいられず……そこでその席から逃げ出し……若党をつれて湯治場へ遁《の》がれ……」
「婚礼の当夜ではあり、若い若党と、そんな温泉宿《ゆやど》で、二人だけで泊まったのに、何んでもなかったとは偉いですなあ」
と云ったのは、同じ越中の薬売りであった。
「だが人は信じますまいよ」
「そうなのです」
と、絹商人は話をつづけた。
「お嬢様の父親というのがまず信じなかったそうで……」
「どうしました?」
「主家の娘を誘惑し、連れ出し、傷者にした不届きの若党というので……」
「どうしました?」
「打ち首……」
「へえ」
「というところを、片耳を剃いで、抛《ほう》りだしたそうで」
「ひどいことをしやがる。娘がそいつを止めないという法はない」
「そうですとも」
「それから娘はどうしました?」
「翌年、他藩の重役のご子息のもとへ、めでたく輿入れなされたそうで」
「結構なことで、フン!」
「結構でないのは若党――お侍さんで、ガラリと性質が変わりましたそうで」
「変わりましょうなア」
「それからは女という女を憎むようになったそうです」
「あっしだって憎みますよ」
と、口を出したのは、八木原宿の葉茶屋の亭主だという、四十がらみの男であった。
「あっしばかりじゃアない、誰だって憎むでしょうよ。……ねえご主人、そうじゃアありませんか」
こう云うと葉茶屋の亭主だという男は、桔梗屋の主人の方へ顔を向けた。
桔梗屋の主人の佐五衛門は、持っていた筆を、ヒョイと耳へ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んだが、帳場格子へ、うっかり額を打ち付けそうに頷き、
「ごもっともさまで、女出入りで、そんな酷《ひど》い目にあわされましたら、誰だって女を憎むようになりますとも」
「若党っていう男に、同情だってするでしょうねえ」
とまた口を出したのは、左官の親方だという触れ込みの、三十四、五の男であった。
「さようですとも、その気の毒な若党殿には、私ばかりか、誰だって同情するでございましょうよ」
と、佐五衛門はまた頷いてみせた。
「ところで、その若党――お侍さんが、どんな塩梅《あんばい》に女を憎んだかってこと、お話ししましょうかね」
と、絹商人は、話のつづきを話し出した。
「そのことがあってからというもの、そのお侍さんは、生活《たつき》の途《みち》を失い……そりゃアそうでしょうよ、片耳ないような人間を、誰だって使う者はおりませんからねえ。……ウロウロと諸地方を彷徨《さまよ》いましたそうで。……木曽街道を彷徨《さまよ》っていた時のことだといいますが、板橋宿外れの葉茶屋へ寄って、昼食をしたためたそうで。すると側《そば》に、二十一、二ぐらいの仇めいた道中姿の女がいて、これも飯を食べていたそうで。いざお勘定となると、百文の勘定に、何んと女は小判を出して、これで取ってくれといったそうで。ところが、そんな葉茶屋ですから釣銭がない。それで女にそういうと、女は当惑したような顔をしいしい、妾にも小銭はないと云い、ヒョイとそのお侍さんの方へ向き、
『申し兼ねますがお立て替えを』
『よろしゅうござる』
とお侍さんは何んと感心にも、乏しい懐中《ふところ》の中から金を立て替えてやり、それを縁に連れ立って歩き、日の暮れに上尾宿まで参りましたところ、女の姿が見えなくなったそうで。
『はぐれた筈もないが』
と不思議に思いながらその宿の安宿へ泊まり、翌朝発足して熊谷宿まで行くと、棒端《ぼうはな》の葉茶屋にその女がいたそうで。そこでお侍さんも寄って茶を飲み、女と話したそうですが、いざお勘定となる
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