ります。(間)消えたように無くなったのか、始めから此処に居なかったのか、人々は互いに審《いぶか》り合うほどに、素早く身を隠してしまったのでござります。いきり立っていた館の殿様はじめ、騎士、音楽家の人々は、一時に静まり返りまして、胸に手をあてて彳《たたず》みました。――先刻までの物凄まじき喧騒の後が、氷のような底冷たい、神秘がかったこの沈静でござります。(間)人々は四方を見廻し、また自分の影を見詰め、そして物音を聞き定めようと耳をすましました。――人々の心の中に、この時老人を怪しむ念が、稲妻のように閃めいたのでござります。……その時でござります!
女子 ええ。
従者 若様が虫のような声でお嬢様の名をお呼びなされました。
女子 あの私の名を!
従者 はい、お嬢様のお名をお呼びなされました。そして胸にさしておられました鈴蘭の花を差し出して、お嬢様へと申されました。(と従者、凋《し》おれし一枝の鈴蘭の花を女子に渡す、女子無音に受け取り、唇にあつ)
女子 若様、若様!
従者 人々は始めてこの時、仆《たお》れている若様に気づいたのでござります。
女子 若様!
従者 人々は顔色を変え叫びを上げ、一時
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