女A 空が水銀のように晴れて、滴が垂れそうな晩でございますね。(間)ごらん遊ばせ、お月様が空のまん中を軽々と歩いていらっしゃります。お月様の通る道には雲が金色の縁《へり》をつけております。風が渡ると見えて、その雲は千切れたり集ったり致します。そして皆んな音楽堂の丸家根をめがけて押し寄せて参ります。(笑う)おしかけ婿様のような雲でございます。
女子 そのように、騒いではいけぬじゃないかえ。今夜はそんな晩ではありません。(間)ほんにお月様は空のまん中を歩いていらっしゃるが、その御様子が大変心配ごとでもおありなされるように見えるじゃないか、そして私にはいつもより大そう形が大きく見える、そして光が青く見える、そして顫《ふる》えておいでのように見えるぞえ。雲の間をお通りなさる時は、忍びやかに恐ろしそうに、丁度暗殺者の群の中を及び腰で通って行くようだ。お月様の周囲を取りかこんでいる雲は、平常《いつも》の夜とは違って形が怪しく見えるじゃないか。お心よしの王様を毒害しようと、毒のある盃を口許へ突き出したような雲、墓場の門を大勢の亡者が押し破ろうとしている雲、葬式の柩を尼寺の尼僧と童貞ばかりが送って行く
前へ 次へ
全154ページ中71ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング