だ。眼に見えぬ大いなる影が、あの歌の陰にひそんでいて、歌う彼を助けている。それがあの歌を助けている。(間)俺の弾く「暗と血薔薇」の一曲には、邪悪《よこしま》の恋が歌われ、不義の慾望が吟じてあるが、あの短ホ調の一節には、正しい嘆きが篭っている。恋しさを恋する純なる情と、遂げねば死なんと願う心が、三筋の糸の顫《ふる》えから流れ、砒素のような烈しさで、女心をかき乱し、迷いの霧から招いている。(力強く)誰のために誰が作った歌だろう。
公子 (歌い且つ弾く)
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ひきとめ難き恋心、
恋心、
遂げねばならぬ恋心、
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(女子、高殿の下まで行き、公子を見上げ)
女子 若様!
公子 (聞こえぬものの如くに歌う)
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水の都の人魚は、
人のなすなる恋の道
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女子 若様、若様!
Fなる魔法使い (楽器を烈しく掻き鳴らし)あの歌の鋭い神経が、迷った女を醒《さま》そうとする。(突然)俺の敵だ! 死を教えるようなあの歌の清い意味が俺の敵だ。(間)幸福たらんとする乙女、既に幸福なる人妻を、思わぬ邪道に導き行くこのFなる魔
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